TOKON10実行委員会公式ブログ

第49回SF大会TOKON10実行委員会の公式ブログです。
開催日程:2010年8月7日(土)〜8日(日)
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東京SF大全23『ボッコちゃん』
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    (ショートショート・星新一・1958年)


    (初出〈宇宙塵〉1958年2月号→〈宝石〉1958年5月号に転載→単行本『人造美人』(新潮社)1961年→新潮文庫『ボッコちゃん』1971年)


    『ボッコちゃん』が狹豕SF瓩任△襪海箸鰐世蕕だ。
     物語の中のただひとつの固有名詞「ボッコちゃん」は、ロボットという言葉が使われる日本という狆貊雖瓩函⊇性名に「○○子」が多かった犹代瓩鯒愀覆箸靴討い襦作品に犹空瓩慮堕蠅鬚けまいとする傾向の強い星新一が意味もなくこのような名前を選択するわけがない。
    「ぼっこ」とは、千葉の方言では「無愛想な者」を指すという。「おぼこ娘」という言い方もある。「座敷ぼっこ」というような、この世ならぬ存在を連想させられもする。あるいは即物的に「凹(ぼこ)」という意味であるのかもしれない。

     そもそも、この物語の主人公は誰だろう。ボッコちゃん? 青年? いやいや。
     もしマスターが主人公だと仮定したらどうだろうか?
     ボッコちゃんは「本物そっくりの肌ざわり」と説明されている。上品なこの店の客がカウンターの中のボッコちゃんを触るわけがない。それは作り主であるマスターのこだわりだ。ボッコちゃんはマスターの道楽で作られた。仕事に役立るためではない。趣味だったからこそ、精巧な美人ができたのだ。彼はそれが出来あがると、バーにおいた。仕事の間でも、自分の目の届くところに置かないではいられなかったのだろうか。
     彼の妄想を具現化したそれは、妄想以上のものだった。
     ロボットと気がつくものはいなかった。若いのにしっかりした子だ。べたべたおせじを言わないし、飲んでも乱れない。人気が出て、立ち寄る者がふえていった。
     場所は、もちろん狹豕瓩如△燭屬鷆篋造世辰拭
     田舎ではもちろん、地方都市でもこうはいかない。「女は愛嬌」の世界の住民には、ボッコちゃんの魅力はわからない。

     客がすべて帰った後、マスターはボッコちゃんに話しかける。
    「やっと二人きりだね」
    「やっと二人きりよ」
    「客がいた方がいいか?」
    「客がいた方がいいわ」
    「俺のことはもう嫌いか」
    「あなたのことはもう嫌いだわ」
    「壊してやろうか」
    「壊してちょうだい」
    「俺にお前が壊せるわけがないだろう!」
    「あなたに私が壊せるわけがないわ」
    「いつまで、これが続くんだ?」
    「いつまでも、これが続くのよ」
    「こんなものをつくるつもりはなかったんだ」
    「こんなものをつくるつもりはなかったのね」
    「いつか、出来ていたんだ」
    「まだ若いのよ」
    「おまえは何なんだ!! 悪魔か?」
    「ボッコちゃん」

    「おせじをいわないボッコちゃん」が人気を集めるのは、誇り高い金春(こんぱる)芸者の伝統が生きる銀座ならではだ。「美人で若くて、つんとしていて、答えがそっけない」ボッコちゃんに魅かれる男たちは、自分の言葉をただ返すだけの問答に恋心を募らせる。
     マスターがボッコちゃんをそのように作った。自分の言葉をただ繰り返すだけの問答が気持ちをかきたてるような場面において、彼はボッコちゃんを必要とした。
     
     ひとりの青年がいた。ボッコちゃんに熱をあげ、通いつめていた。
     こういう客に対するマスターの勘定の取り立ては執拗で厳しい。
     父親に来店を禁止された青年は、ボッコちゃんに毒入りの酒を差し出した。
    「勝手に死んだらいいさ」と言い、「勝手に死ぬわ」の声を背に、マスターに金を渡して、青年はそとに出ていった。
     マスターは青年がドアから出ると、残ったお客に声をかけた。
    「これから、わたしがおごりますから、みなさん大いに飲んで下さい」
     さて、この後の文章に妙にすわりの悪い一文が続いている。

     おごりますといっても、プラスチックの管から出した酒を飲ませるお客が、もう来そうもないからだった。
     
     この文は、次の2通りに解釈できる。
     ,ごりますといっても、プラスチックの管から出した酒を飲ませる(だけだから、マスターの損にはならない。マスターがそのように言ったのは、今夜はこれ以上)お客が、もう来そうもないからだった。
    ◆,ごりますといっても(皆死んでしまうのだから、意味はない。マスターは今夜の客を)プラスチックの管から出した酒を飲ませるお客(と決めたのだ)が、もう(これ以上)来そうもないからだった。
     ,世函▲泪好拭爾麓鬚毒だとは知らなかったことになる。
     △世函知っていたことになる。

     もしも△鯀ぶのなら、マスターが主人公だったことになる。マスターは、降って湧いたような、すべてを終わりにするチャンスに乗ってしまったのだ。巻き添えをくらった客こそいい面の皮だが。
     むろんどちらで読むかは読者の自由だ。どちらで読んでも矛盾のない作品として仕上がっている。
     宮野は△鯀ぶ。,茲蠅皚△發曚Δ、より狹豕瓩世らである。
                               (宮野由梨香)



    (星新一は銀座8丁目のバーに好んで通った。銀座8丁目には、金春(こんぱる)通りがある。「金春芸者」は誇り高く容易に男になびかず、明治初期に薩摩や長州の「元田舎侍」がいくら金や権力を持っていても相手にしなかったそうである。)



     (世田谷文学館で「星新一展」が4月29日(木)〜6月27日(日)に催される。星新一初の大型企画展であり、話題を集めている。常設展示に「日本SFの父」海野十三(生前、世田谷区若林に居住していた)の書籍や書簡がある。また、一階の喫茶コーナー「どんぐり」には、東宝撮影所(世田谷区砧)で実際に撮影に使用されたゴジラ(第23作)の着ぐるみが置かれている。)


    (付記)
     世田谷文学館「星新一展」を訪れてみた。非常に充実した展示が興味深かった。「ボッコちゃん」の作品世界を再現したコーナーもある。
     この「東京SF大全」と関連することとして、次のことを猗見瓩靴拭
     世田谷文学館「星新一展」図録P12〜13に「ボッコちゃん」の下書き稿カラ―写真が載っている。そこでは、例の「すわりの悪い一文」の前後の最初の形は次のようになっている。

    「これから私がおごりますから、皆さん大いにさわいで下さい」
     おごりますもないものだ。ロボットの管から出した酒を飲ませるお客がもう来そうもないからだった。
                (製薬会社の便箋の裏に書かれた自筆下書き稿)

     もとは、このように「すわりのよい2文」だったのだ。
     これが「宇宙塵」掲載時に今見るような形に書き直された。
     「すわりのよい2文」から「すわりの悪い一文への書き直し」…2通りの解釈を引きこむような形に書き直されているというように、宮野には思える。この書き直しの意味を、そのように考えることの当否を広く問いたいところである。
                    2010年5月23日 宮野由梨香
     
    | 東京SF大全 | 00:29 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
    コメント
    私は、世田谷文学館に歩いて通える近所に住んでおります。常設展示場にある「ムットーニのからくり劇場」には、海野十三やブラッドベリ作品をモチーフにした作品もあります。
    | 小笠原功雄 | 2010/04/21 10:41 AM |
    >「ムットーニのからくり劇場」
    私も全部見ました!
    あれは貴重なものですよね。
    歩いて通える近所に住んでいらっしゃるとは、うらやましいです。
    | 宮野由梨香 | 2010/04/24 3:55 AM |
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