TOKON10実行委員会公式ブログ

第49回SF大会TOKON10実行委員会の公式ブログです。
開催日程:2010年8月7日(土)〜8日(日)
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特別掲載:東京SF論 『見えるものと見えないもの』
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    見えるものと見えないもの――『機動警察パトレイバー2』

    海老原豊

    押井守監督の劇場版アニメ『機動警察パトレイバー2』は、一口に言ってしまえば東京に戦争を起こす物語だ。軍事エキスパートの柘植を首謀者に、コンピューターのハッキングや、毒ガスを積んだ(実際には無害な着色ガスだったが)飛行船を市中で撃墜させるなど、情報を掌握することで力の位相差を生み、兵隊と武器の圧倒的な少なさを補うポスト近代的な戦争が東京で展開される。この東京戦争が最後まで燃焼しつくす前に、再結成された特車2課中隊というヒーローたちの到着と相成り、結局のところ、総力戦としての近代戦争ではなく、柘植が描いたポスト近代的な情報・コンピューターによる戦争は、昔ながらの「ロボットによる格闘」によって握りつぶされる。砂場で遊ぶ子どもがその手の中に強く握り締めるロボットの人形が、ぶんぶんと振り回されて、年頃にしては繊細で器用な別の子どもが作った砂のお城に突き刺さり崩れるイメージ。

    『パトレイバー』という、人が操縦する巨大ロボットが登場〈しなければならない〉アニメのシリーズにおけるやれること/やれないことの境界線は、当然ある。作るほうも見るほうも、この境界線をわきまえているほどには大人だ。南雲隊長が敵戦闘レイバーの攻撃を突破する最後のシーンは、直接に描かれない。エレベーターに向かうシーンと、ぼろぼろに破壊されたレイバーを載せたエレベーターが地上に現れるシーンは直接に繋げられている。押井が描きたいのはロボットの格闘ではないといいたいのだろうと、このシーンから読み込む程度には私たち見るものは約束事を知っている。また、従来のロボット・アニメの主人公的な振る舞いを戯画化した太田だけでは到底、柘植を倒すことなどできないことも確認しておこう。思考が切れすぎるために上層部から煙たがられる剃刀・後藤隊長の存在なくして柘植のしかける東京戦争に勝利することはできなかった。かくして物語の水準でも、私たちはコンピューターと情報を駆使した戦争を戦うためには、後藤=柘植のような人物が必要であることを十分に理解している。

    私がここで(ごく簡単にだが)考えてみたいのは、物語の水準では必要とされていない巨大ロボットの格闘を、ロボット・アニメのお約束という物語外の巨大な装置に投げ込み、私たちの目の前から抹消してしまうことではなく、物語の層へと塗り直すことができないだろうかということだ。見えるものと見えないものの絡み合いを指摘し、解きほぐしていくことが具体的な手続きとなる。

    東京戦争をクーデター=226事件の表象であると考えることは、押井の226事件へのこだわりを考えてみれば、おかしなことではない。本作『パト2』に限ったことではなく、OVAの5,6話『特車2課の長い一日』に見ることもできるし、『人狼』が描く騒乱にもその片鱗は見出せるだろう。表象といっても、当然、そこにはズレが生じ、中には決定的といってもいいズレが生まれてくる。東京戦争と実際の226事件との一つの大きな違いは、報道である。226事件であればラジオや新聞といった視覚外メディアが軍隊の存在を伝える媒体であったわけだが、『パト2』では市中が軍隊による管理下に置かれた様子が描かれ、その様子はテレビを通じて全国に執拗に流される。注意するべきは執拗に「描く」のではなく、執拗に「流す」ところだ。もちろん、『パト2』では、東京戦争へと続く一連の軍事テロ行為への不安を沈静化することを狙って軍事力のメディア露出が許されているのだと考えられるが、一枚の「絵」として切り取られたとき、人々の心理に安心を生むのか不穏を生むのかは、火を見るより明らかだろう。だから、後藤が特車2課のレイバーを警備活動に従事させたくなかったのも、現場に搬入するも、「故障」といって起立させることを拒んだのも、理由がある。後藤はそれがどのように見えるか理解していたからだ。

    見えるものは常に見えないものによって輪郭を作られている。光が常に影を生み出すのと全く同じ理屈だ。TVメディアによって切り取られた一枚の「絵」があるとき、その背後に捨てられた膨大な背景を想像すること。この時代における当たり前の処世術、メディア・リテラシーであるはずだが、それはしかし、本当に当たり前になっているのだろうか。柘植が間隙をついたのは、絵と背景の間に空いた、本来は個々の人間が感じるであろう現実感と想像力で補うべき闇だったのではないか。軍人としての柘植が平和維持活動の一環として派遣された海外で、率いる部隊が攻撃を受けながらもこちらには発砲許可が出ないという緊張を描いた冒頭。柘植の視界はディスプレイ越しの視界だ。柘植はレイバーの中に入り、レイバーのディスプレイを通じて外界へとアクセスをしていた。この時、レイバーは柘植の目となり手となり耳となり、つまりは身体となっていたわけで、ディスプレイの絵と外界という背景は一致していたといえる。だが、柘植の外に広がる世界には、確実に闇が広がっていた。軍事行動が行われていると思われる地域に自国の兵士を派遣しながらも、発砲を禁止する(そうせざるを得ない)日本という国の目には、柘植とその仲間たちがレイバーのディスプレイを通じて見て体感したものが確実に伝わっていない。柘植においてレイバー/柘植が一体となっていても、柘植/日本の間に歪みが生じていた。日本では単にディスプレイの歪みとして処理された柘植の戦闘は、実は、見るものの歪み、つまり日本という国の問題だったのではないか。

    柘植が東京戦争を仕掛ける際に、まずは切り取られた絵、種々のメディアを通じて見えるものを積極的に改変することが始めたのは道理といえよう。当然だが、東京戦争は実際の戦争であった。何から何までコンピューター端末とそのディスプレイの上で行われた仮ヴァーチュアルなものなどではない。柘植が戦略としてとったのは、切り取られた見えるものを徹底的に改変し、その一方で捨象された背景の中に強烈な爆弾をしかけるということだったのではないか。見えるものと見えないものの間を開くこと。海外の戦場で柘植が見たものと、国内にいる日本国民が見たものは違っていた。どれほどカメラ・アイとディスプレイが高性能になろうとも乖離が生じてしまう。もはやこれはテクノロジーの問題などではない。日本国民の、いや人間の、心性に起因している。目立つものに注目をしさらに見たいと願い、見たくないものは目の端に追いやりやがては視界から抹消する。

    いまさら指摘するのも気がひけるが、この作品に見えるものイメージが充満しているのは、誰もがすぐに気がつくことだろう。ベイブリッジを攻撃した戦闘機の画像、航空管制室のディスプレイに映し出された敵戦闘機の影、撃墜された気球からもれ出た着色ガス、東京に遍在する軍隊、それを映し出し東京を日本に遍在化するTVメディア。自衛隊諜報部の荒川がメガネをかけた斜視であるのも、視覚とその歪みを伝えるイメージだ。荒川の視覚が歪んでいる(かもしれない)というのは、1つのヒントとなって、私たちを見えないものへと向ける。起立しないパトレイバー。敵の電波施設へといたる海底通路。そこへいたるために通った、幻の地下鉄新橋駅。だいたい、特車2課中隊のメンバーは警視庁という組織の中に四散していて、最初から野亜や明日馬は(登場はしているが)「見えない」のだ。こうして一連の見えるもの/見えないもののイメージをたどっていくと、境界面に立つのがレイバーであることが確認できる。

    柘植はレイバーの中の存在だった。レイバーと一体になり、中から外界を見ていた。しかし外界は柘植とそのレイバーの視点を共有しなかった。柘植の見えるものは、日本人にとっての見えないものにされた。だから柘植は自分と仲間たちが見たものを伝えるために、まず日本人の「見えるもの」を書き換えることから始めた。他方、特車2課は、柘植と同じくレイバーという視点を通じて外界にアクセスしつつも(レイバー整備のシーンが野亜と明日馬の登場シーンだ)、柘植が執拗にこだわる「見えるもの」という土俵に乗ろうとしない。柘植、そして後藤が気づいていたように、勝負は「見えないもの」で行われるのだ。地下鉄‐海底トンネル‐東京湾埋立地という見えないものの道をたどるには、見えてはいけないのだ。かくして、パトレイバーの活躍は不必要だからわずかしか描かれていないのではない。柘植の軍隊による特車2課へのヘリ攻撃で完全に破壊されるレイバーの様子を、監督のアニメ的お約束への憎悪であると解釈することも可能だが、そこまで意地悪くなる必要もないはずだ。パトレイバーの活躍が不必要なのではない。否定辞「不」の位置をずらすだけで事は全て解決する。パトレイバーの「不」活躍が必要なのだ。そうしないと、勝てない。

    東京を舞台に柘植が仕掛けた戦争は、東京の特性を最大限に生かしたものだ。見えるものだけが全てであるという幻想こそがこの街の生きる駆動力なのだ。しかし、本当は東京には見えないものが溢れている。押井守が『パトレイバー』シリーズを通じてカメラの隅に捕らえていたのは、幻想からはみ出る見えないものの呼吸だったのではないか。(海老原豊)
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