TOKON10実行委員会公式ブログ

第49回SF大会TOKON10実行委員会の公式ブログです。
開催日程:2010年8月7日(土)〜8日(日)
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東京SF大全24『少女地獄』、『街頭から見た新東京の裏面』、『東京人の堕落時代』他
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    夢野久作『少女地獄』、『街頭から見た新東京の裏面』、『東京人の堕落時代』他

     夢野久作と言えば、生涯、博多にとどまって文筆稼業を続けた人です。だから、彼を論じる人もまた、もっぱら九州文壇の土着性といった話題を取り沙汰しがちです。けれども、その反面、久作のまなざしがいつも東京に向けられていたことは、どうもいまいち知られていないみたいです。小説家夢野久作の骨格となるアイデアがデビュー作である『あやかしの鼓』の時点であらかた出そろっていたことは、彼の小説作品に親しんでいる人ならよくご存知でしょう。でもそれなら、そもそもそうしたアイデアはどこから出て来たのか、ちょっと気になりませんか?

     久作は、『あやかしの鼓』を書き上げるより二年ほど前に、『九州日報』の記者として「杉山萌圓」という筆名で、『新東京スケッチ』、『震災一年後の東京』、『街頭から見た新東京の裏面』、『東京人の堕落時代』などといったルポルタージュを数編寄稿しています。これは、関東大震災を経て復興途上にある現地の様子を、克明に報告するという主旨の記事でした。ところが、タイトルでなんとなく想像がつくと思いますが、久作が精緻な観察を通して読者に突きつけたのは、新生東京の水面下ではますます人心が腐敗しているという反論の余地なき「事実」でした。その内容をいちいち説明していると、紙数がいくらあっても足りなくなってしまいますから、ここではかいつまんで要旨だけ見ておくとしましょう。とは言っても、久作が伝えようとしたことは、じつはとてもシンプルなので、『街頭から見た新東京の裏面』の冒頭に目を通すだけでさわりは充分理解できます。

     それはこうです。震災後の東京では、当時の市長と電気局長とのあいだにいざこざが起きて、いったいどんな事態が進行しているのか、外部からはまったくうかがい知れないままに、政局に混乱が生まれたことがありました。このキナ臭い一幕を評して、久作はおおよそこんな所感を述べました。《卑怯な真相が隠れているところでは、その表面に矛盾が現われて来る。この矛盾を隠すためには、芝居を打てば良い。そうすれば、それを見る人たちは、戸惑わされ面食らわされて、何が真実か、何が虚偽かがわからなくなってしまうから……》。じつのところ、この発想はそのまま、小説家夢野久作の探偵小説観につながっていきます。というより、上の表白は、どうして夢野久作が「探偵小説」という文学形式にこだわったか、その理由の一端をかいま見せてくれます。というのも、久作の言う「秘密」とか「真実」というのは、単純に政治の内幕のことだけを指すのではなくて、もっと大きな広がりをもつ概念だからです。そうした秘密を解明するという意味での「探偵術」は、自分が生きる時代の「今」を切り取るために絶対必要なアートだと、少なくとも、久作自身はそう考えました。

     東京の話に戻ると、夢野久作の小説では、「東京の人」は、嘘をつく人、芝居を打つ人としてよく描かれます。たとえば、『あやかしの鼓』もそうです。『悪魔祈祷書』や『冥土行進曲』といった晩年の小説作品、また『恐ろしい東京』のようなエッセイでさえなお、東京人=嘘つきという図式は変わらないままです。久作の描く主人公は、こういう人々の「今まで隠してきたがじつは……」とか「あれはお芝居で……」という言葉に、かろうじて築きかけていた自分なりの認識を揺るがされ、崩されてしまいます。そして、そうした“?”マークの背後には必ず、人間の心理という「真実」が隠れている。その「実例」をふんだんに提供したという意味でも、東京での取材体験は、夢野久作の創作活動に非常に重要な影響を及ぼしていると考えるべきでしょう。

     震災後の東京では、いわゆる「江戸ッ子」のイメージがすでにどうしようもなく虚像と化していました。江戸ッ子は、本来、武家文化の尚武の気風を反映して、日本人の中でもとりわけ男性的で爽快な性格を代表していたはず。それなのに、久作が行く先々で実際に目撃したのは、当の生粋の江戸ッ子たちが、侠気を失ってせせこましく暮らしている姿でした。もしこの江戸ッ子たちが日本人の性格の典型だったのであれば、ひとたび日本全体が震災に匹敵するダメージを受けたなら、それは日本人全員がそろいもそろって気概を失ってしまい、二度と立ち上がる力を失ってしまうことを意味するのではないか……。久作は、そんなことさえ言っています。戦争が始まるより十年以上前のことです。

     もちろん、新聞記者としての、あるいは家族を持つ一私人としての夢野久作にとって、東京のこのような有り様は、何よりも先ず糾弾の対象となります。けれども、探偵小説家としての夢野久作にとっては、眼前に広がる東京の光景は、彼一流の「精神生理学」の教材とも実験場とも呼ぶべきものでした。東京は、まさしく時代の先端に位置する都市でした。地方の人間は、東京に流れ込み、そうして東京の影響を受ける。反対に、東京の人間が地方を訪れると、その地方は感化されないでいられない。東京は、そうした力の渦の中心に位置していました(このような運命の力動というモチーフに基づいて、東京と地方の交わりを描いた作品としては、私見では、『押絵の奇跡』がとてもわかりやすいと思います)。そしてそれゆえ、東京は、見る目をもつ人の目には、人間心理の内奥に潜む狂躁を徹底的にあらわにしてくれる舞台として立ち上がって来るのでした。

     震災後の復興で、東京は一面バラックの海と化しました。震災で生まれた空隙を埋めようと、地方からどんどんと労働者が流入してきたからです。人口は過密化し、交通は渋滞し、風俗は安っぽくなり、都市の光景はいろいろな様式を節操なしに混ぜ合わせた折衷式になりました。けれども、久作は、そうした派手派手しさと浅薄さが同居した「生存競争」の裏に、一種の「悲哀」を見ていました。なぜなら、復興を遂げたこの都市の片隅には未だに、あとに取り残された震災の死者たちの死臭がこびりついているのだから。いいえ、震災の死者だけではありません。暮らしが立ち行かなくなって街を追い出された人、都市生活に疲れて身投げした人、堕胎された水子。この東京の繁栄は、いつでも見捨てられた者たちの死骸の上に成り立っていたのだから……。東京が見かけ上の繁栄の裏で徐々に衰亡していくこの状態は、見捨てられた者たちの境地への回帰を意味してはいなかったでしょうか。東京の人々が生存の狂躁に駆られれば駆られるほど、逆説的に、その営為がいかに虚無的であるかが浮き彫りになる。だからこそ、探偵小説家夢野久作の手つきは、このような都市で育まれた人間の心理を解剖して、その奥に潜在している狂気と空虚を暴露することへと向かうのです。

     そこで久作は、とくに『東京人の堕落時代』という一稿を設けて、多くの紙数を費やしながら、東京で暮らす女性たちについて分析を展開しています。東京で暮らすうら若い少女たち。あるいは、生業を求めて田舎から出てきた女性たち。彼女たちは、東京の狂躁を誰よりも身近に体験する立場にあります。なぜなら、女性の自立という謳い文句にのせられて社会に進出してきたとはいえ、ひとたび東京の秩序が崩壊すれば、彼女たちには、肉体的労働者としても知的労働者としても需要がなくなってしまうのですから。彼女たちに残された選択肢は、ただひとつ、「美」を売りにした職種に就くことだけ。つまり、東京の職業婦人とは商品なのです。だから、彼女たちは、東京の堕落をありのままに受容する存在なのです。

     久作の言う「堕落」とは、つまりは、享楽主義を意味します。享楽主義とは、過去も未来も度外視して、現在の瞬間の享楽だけを求める態度のことです。だから、享楽主義には、人間から人間性を剥ぎ取った先に残る生物的本能という概念と重なり合う部分があります。『東京人の堕落時代』で、夢野久作が、「職業婦人」に並んで「不良少年/不良少女」というテーマを追いかけた理由もここにあります。久作は、青春の焦燥に駆られる東京の少年少女たちのすがたに、人間心理の最奥にある祖先からの遺伝の衝動、すなわち純粋な生の衝動の発露を認めたのでした(それはまた、久作に言わせれば、即そのまま堕落性に他ならないのです)。だから、このルポルタージュは、夢野久作の全体像を考えていく上では、けっして見逃せません。彼の創作の中で、少年少女というイメージがどういう意味を担っているか、そしてどのような問題群と連接しているかについて、とても多くのことを教えてくれるからです。とりわけ、「二匹の白い蛾」と題された一節では、久作が終生の主題とするであろう「変態心理」のイメージの先取りを見ることが出来るでしょう。

     まだあります。『東京人の堕落時代』は、夢野久作がのちに好んで用いる「書簡形式」の文体作法、なかんずく「女言葉」の文体作法の発端でもあるのです。久作は、東京での取材調査の過程で、秘密裏に文通をしていた少年少女の手紙の実例を目にする機会がありました。『堕落時代』には、少女たちのラブレターが全部で七通収録されていますが、ひょっとすると、久作はそれ以上の本数の書簡に目を通していたかもしれません。しかし、それ以上に大切なのは、書き手の心の襞まですくい取るように丹念に手紙を読み込む久作の姿勢です。もしこれを「探偵術」と呼んで良いのなら、東京は、夢野久作が「探偵小説家」としての技術を文字にした最初の舞台ということになるでしょう。そして、その対象が少女たちの手紙だったことは、けっして意味の無いことではありません。

     こうして述べて来たことを踏まえて、東京取材の影響をとくに明瞭に見て取れる小説作品として、『少女地獄』の名前を推そうと思います。じっさい、夢野久作の全小説を見渡してみても、東京スケッチとの関係をここまで如実にあらわにしている作品は他にないように思えます。少なくともぼくの場合、一連のスケッチの内容を知る前と知った後とでは、作品に対する読解ががらりと変わってしまいました。なぜかというと、一連の記事を読んだおかげで、夢野久作はたしかに少女たちに共感のまなざしを寄せていること、そしてまた、夢野久作の興味は、謎の解明よりもむしろ、謎そのものが宙吊りにされるような事態に向いていることを知ったからです。そこで、『少女地獄』を読んだことのある人もない人も、ぜひ一度、記者時代の久作のルポルタージュを押さえた上で、注意深くこの小説を読んでみていただきたい。

     たとえば、第一話の「何んでも無い」。これははたして本当に、姫草ユリ子という虚言癖をもつ女性のことを、語り手である臼杵医師が客観的に記述した物語なのでしょうか。細かい部分を拾っていくと、この物語は、自己の信憑性を徐々に揺るがしていくような、軋みをはらんだ構成になっているのがわかります。例を挙げると、臼杵医師は、姫草ユリ子の虚言のスタイルについて、逐一説明します。ところが、物語の内部では、臼杵医師自身もまた、そのスタイルに対応する行動を取っているのです。つまり、臼杵医師がユリ子の振る舞いに投げかける糾弾の言葉は、そのまま彼自身にもあてはまり得るわけです。とすると、冒頭に飾られたユリ子の遺書の一節にある「妾が息を引取りましたならば……今まで妾が見たり聞いたり致しました事実は皆、あとかたもないウソとなりまして……」という言葉もまた、軽々しく流せない意味合いを帯びることになります。じっさいにも、百合子との肉体関係を否認する臼杵医師の言葉が、自家撞着に陥っている箇所が存在するのです。とはいっても、そこまであからさまに描かれているわけではないので、気をつけて読まないと、つい読み飛ばしてしまいかねませんけど(昔のぼくのことです)。

     さあ、はたして、臼杵医師の表向きの話とは裏腹に、この「何んでも無い」とは、かわいそうな無垢の少女が嘘つきに仕立て上げられたことを覆い隠している物語なのでしょうか。それとも、真相はまた別のところにあるのでしょうか。ひとつだけ言えることは、夢野久作の内部では、こうした物語の狂躁と、首都東京の狂躁と、人間心理の狂躁とが、固く結びついていたということです。この狂躁の欲望のことを、久作は、『堕落時代』の中で、ひとつの比喩を用いて説明しています。曰く、少女の心とは「ビリヤード台の羅紗の上で静止している象牙の球」のようなものである、何でも良いから何か、自分を突いて動かしてくれるものに焦がれている、と。けれどもきっと、この球は、ひとたび動かされてしまったら、破滅に向かって転がり続けずにはいられないことでしょう。欲望とは、虚無から生まれて虚無へ帰ろうとする堕落の欲望、破滅の欲望であるより他ないのです。

     おそらく久作は、さまざまな遍歴を経て心の内に蓄積していた構想の完璧な表現を、震災後の東京のすがたに認めたのでした。事実、一連のルポルタージュを寄稿していたのと同時期に、彼は、探偵小説を書いて、懸賞に応募することを始めています。東京取材の前と後とでは、夢野久作の創作活動の質が、大きく変化しているのです。だから、一面では、夢野久作の小説は、いつでも東京での経験の影響下にあるとさえ言える。ですから、「東京SF」という言葉の要件をこれ以上ないほど完全に満たす小説として、ぼくは久作の作品、とくに『少女地獄』をイチオシします。ひとりの作家が、方法論としての学を、東京という土地で実地にふるった結果、生まれた小説です。いったいこの上さらに、何か必要でしょうか? (横道仁志)
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