TOKON10実行委員会公式ブログ

第49回SF大会TOKON10実行委員会の公式ブログです。
開催日程:2010年8月7日(土)〜8日(日)
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東京SF大全27 『上弦の月を喰べる獅子』
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    (小説・夢枕獏・1989年)


    (初出〈SFマガジン〉1986年2月号〜6月号、1987年11月号〜1988年7月号、1988年12月号〜1989年6月号
    →単行本『上弦の月を喰べる獅子』(早川書房)1989年
    →ハヤカワ文庫『上弦の月を喰べる獅子(上)(下)』1995年)


     
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              この作品は二人が論じる。
    二人によって論じられるべき作品であると、判断されるからである。


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     宮沢賢治の詩集『春と修羅』の表題作に目を通すと、その詩行が、まるで波打つようなかたちに並べられていることに気づく。見ようによっては、DNAの分子構造を描いた二重螺旋の図に見えなくもない。一行の詩句を一対の塩基に見立ててみるわけだ。そうすれば、宮沢賢治の詩が、あたかも顕微鏡を通して覗かれた原形質の生物のように見えて来る。自己自身の設計図を露出させている生物。「自己自身の記述」が即そのまま「自己自身のいのち」であるような一体の生物だ。この螺旋図のレイアウトは、そのまま文庫本版『上弦の月を喰べる獅子』の目次に採用されている。そうすると、この『上弦の月を喰べる獅子』(以下『上弦の月』と略記)という小説を、『春と修羅』の遺伝子を受け継いだ次代の生命と考えてみたくなって来る。このアナロジーの可否はともかくとして、大切なのは、螺旋の「かたち」が宮沢賢治の詩から夢枕獏の小説へと受け継がれているという点だ。「かたち」が反復されるとき、そこには螺旋の「力」が生起している。死を超えて生を生み出すいのちの力が。

     そもそも「かたち」は、いつでも二重性の中にある。まったく新しい未知の存在、完全に固有の存在の中にかたちを見いだすことは出来ない。過去と現在が対を成す刹那の瞬間に、かたちは現前する。『上弦の月』の主人公のひとり、螺旋蒐集家「三島草平」は、事故により脳の一部に螺旋状に石片が食い込む損傷を負い、それ以来、眼前の光景のそこかしこに螺旋の動きを見るようになった。彼が損傷した脳の一部位というのは、海馬と呼ばれる短期記憶の持続形成を司る器官だ。つまり、草平は、記憶を司る器官に螺旋を刻印されたから、あらゆるものに螺旋を見ずにはいられない。彼が現に見ているもののかたちは、彼が過去に負った決定的な傷をかたどっている。
     しかも、この三島草平という人物自身もまた、ひとつの造型、ひとつのかたちに他ならない。しかし何をかたどっているというのだろう? もちろん、宮沢賢治その人だ。螺旋蒐集家とは、小説家夢枕獏のまなざしが宮沢賢治の詩の中に見いだしたものを、かたちに表した存在以外の何者でもない。

     宮沢賢治に『無声慟哭』という題の詩がある。まさに死に赴こうとしている妹を目の前にして、かけるべき言葉を口に出せないでいる「わたくし」の心をつづった詩だ。

    「わたくしは修羅をあるいてゐる」
    「わたくしのふたつのこころをみつめてゐる」

    この言葉の意味は、もちろんそれを読む人に向かって開かれている。だが夢枕獏は、宮沢賢治と三島草平を一個の照応関係に置くことで、この詩句の潜勢力に一定の方向性を与えた。草平は、或る日突然恋人を失って、死に取り憑かれてしまった人間として描かれている。つまり、『上弦の月』という小説の中で、宮沢賢治の「修羅」というモチーフは、三島草平の「失われた恋人」というモチーフに重ねられて、鏡映しにされている。そこから、宮沢賢治は「近親相姦」という「修羅」を抱えてふたつに引き裂かれていたのだという解釈が誕生して、ひとつの物語として実を結ぶ。
     小説家のたどるこのような精神の動きこそが「螺旋」だ。宮沢賢治の詩があり、この詩から引き出された解釈があり、この解釈から生まれた物語があり、この物語の内部に「宮沢賢治」が生まれ変わって、新たな生をたどり直す。もちろん、『上弦の月』で描かれている宮沢賢治は、『春と修羅』の作者である宮沢賢治からすれば、ひとつの「結果」だと言える。けれども、この結果は、そもそも夢枕獏という作家の視線が『春と修羅』に見いだした宮沢賢治像を言葉にしたものに他ならない。こう言って良ければ、読者は、夢枕獏の言葉のおかげではじめて、近親相姦という解釈を可能とする「原因」がそもそも『春と修羅』の中に潜在していたと気づけたのだとも言える。この意味で、原因は、結果があってはじめて原因たりえる。原因が結果を生むと同時に、結果が原因を生む。この因果の交流の中に「かたち」は閃き出る(「いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です」)。

     しかし、言い換えるとこれは、「かたち」とは因と果というふたつの極のあいだに木霊する透明な幽霊のようなものだということでもある。夢枕獏は、宮沢賢治の詩にひとつの「かたち」を直観して、そこから「三島草平」と「宮沢賢治」というふたりの人物を創造した。だが、夢枕獏が直観した「かたち」それ自体を理解したくても、あくまでもこのふたりの人物のあいだにみなぎる緊張を通して、透かし見るしかない。ちょうど作中でも説明されている通り、「机」を鉄や木といった素材に分解してしまったところで机の本質は理解できない、机の本質には実体が無いというのと同じで、「かたち」は、かたち同士を結ぶ関係性の隙間を浮遊している(「あらゆる透明な幽霊の複合体」)。この透明な幽霊を敢えて物語の中で受肉させた存在が、「アシュヴィン」という人物だ。
     「三島草平」と「宮沢賢治」が合一して生まれた人物であるアシュヴィンは、蘇迷楼という世界=迷宮=螺旋を旅して、その先端を目指す。それはそのまま、「かたち」のたどる変身物語だと言って良い。原初の生命が複製を繰り返しながら形態の進化を続け、現在のぼくたちにまで至ったのと同じく、「かたち」は螺旋を描きながら繁茂していくものだから。蘇迷楼の中で、アシュヴィンが出会う様々な人々、彼が目撃する様々な出来事、彼自身の体験。それらすべてが、アシュヴィン自身の変身であり、「かたち」の生成の舞踏だ。

     しかし、生命の反復が、その反復の瞬間に死をはらんでいるのと同じく、かたちの生成もまた、その起源に無を秘めている。なぜなら、言語とは「かたち」を言い表そうとして生まれるものだが、「かたち」とは、刻々と変化する意識の流れを無化する瞬間に立ち現われるものだからだ。言語は、流転して止むことの無い混沌とは異なる、固有の秩序を形成している。それが「法(のり)」だ。しかしそれゆえに、言語は、けして生成変化の流れとは相容れない。「かたち」は、生成の混沌と言語の秩序の両方にまたがっているが、それは、そのどちらでもないという意味でだ。「かたち」は、「〜でない」という否定形でしか思い描けない。思考はいつでも「かたち」の正体を掴み損ねてしまう。だから、言語は「かたち」を言い表そうとして発語されるものなのに、けしてこれを言い表すことが出来ない。言語は、生まれた瞬間からすでに「言いたくても言えなかったこと」という回顧的欠如を随伴している。だから、「かたち」とは実体の無いものなのではなくて、実体の内なる「無」そのものなのだ。

     「三島草平」も「宮沢賢治」も、愛した女性を失ったことから、心に飢餓を抱え込んでいる。彼らの愛は、失われたものへの回顧としての愛、不可能性の苦悩としての愛だ。ゆえに、アシュヴィンの旅路は、ふたりを呪縛している「死の愛」を克服するための物語という様相を帯びる。つまりそれは、言語=法(のり)を、欠如ではなくて、充実した稔り(実=法(み・のり))として見るための物語、すべてに「諾」と言うための物語だ。
     アシュヴィンの物語が終わって、ふたりの人生がふたたび分かれ、三島草平が死を迎えたとき、彼のポケットから数粒の籾が発見される。その数粒の籾は、一枚の写真とともに見つかった。かつて彼が撮影した、とある兄妹が殺される瞬間を写した写真だ。生が死に転じる瞬間を捉えたこの写真が、草平の心に刻印された原罪の象徴だとするならば、死者の手に握られていた種籾は、死を生に転じる救済の象徴に他ならない。この籾は、三島草平が、時間と空間を超えて、花巻の村の豊年祭で宮沢賢治と出会った折りに、賢治から手渡されたものだった。こうしてこの変身物語は、ふたりを結ぶ縁であり業であったアシュヴィンが天へと返されて、地の滋養へと変容したところで結ばれる。

     相異なる時空に生きていた「宮沢賢治」と「三島草平」のふたりが出会い、また別れた場所は「二荒」だった。正確に言うと、宮沢賢治は二荒山(ふたらくやま)という場所で、三島草平は新宿でも三指に入る超高層建築とされる二荒(ニコー)ビルで、それぞれ異世界に入り込み、また帰ってきた。
     言うまでもなく、「二荒」という字形は、この小説の主題をかたどっている。と同時に、「ふたらく」という言葉の響きは、当然「補陀落」に通じている。菩薩、すなわち「さとりを求める人」の住処である霊山だ。小説家夢枕獏のまなざしは、この霊山を、東京に林立する高層ビルの景色に重ねて見ていた。それは、言葉を変えると、テクノロジーが怪物的に成長していくこの東京の光景の中にさえ、宗教的な救いの種子を見いだせるということではないだろうか。とはいっても、それは、特別に深遠な行為だというわけではない。ただ、東京という都市を、それまで誰も知らなかったような角度から眺めること、見飽きたと思い込むのを止めてもう一度真正面から見つめ直すことが大切なのだ。それが出来たあかつきには、現に生きている人間から出発した問いが、物語を経由して、ふたたび彼のもとに帰って来る。この螺旋のダイナミズムがなければ、SFは傑作たりえない。(横道仁志)



    (都庁南展望室から見た「新宿副都心」)

     評価の高い作品である。1989年の第10回日本SF大賞、1990年の第21回星雲賞(日本長編部門)受賞。作者本人が書いたセルフパロディ作品『上段の突きを食らう猪獅子』も、1991年の第22回星雲賞(日本短編部門)を受賞している。
     わたしは螺旋蒐集家である。……長い物語は、このように書き出される。
     螺旋蒐集家である「わたし」は二荒ビル(初出形では「ニコービル」)に螺旋階段を見る。二荒ビルは「新宿でも三指に入る超高層ビル」だ。そのビルの巨大な吹き抜けの中を渦巻きながら、はるかな高みへと伸びていく階段……。あり得ない。たぶん幻だ。だが「わたし」はそれを上っていく。
     螺旋蒐集家は気がついていない。作者も気がついているのかどうか、わからない。それでも作品は土地の意味を内包する。「二荒ビル」は架空の存在だが、「新宿でも三指に入る超高層ビル」がある土地といえば、新宿副都心に決まっている。新宿駅の西口近くである。玉川上水の終着点ゆかりの淀橋浄水場があった場所だ。
     玉川上水は、人口が急増した江戸への水供給を目的に掘られ、1654年に完成した。その終着点は新宿で、そこから上水は地下へもぐり、初期には木樋で、後にはより衛生的な石樋で、城下に配分された。
     1899年には、更に衛生的な近代水道が始まる。上水の汚濁を除去・消毒するべく淀橋浄水場ができた。そして、1960年、東京都は「新宿副都心建設計画」を発表した。「淀橋浄水場」を東村山に移転し、その跡地に高層ビル群を建設しようというのだ。
     都市に供せられた水の怨念の渦巻く場所に、高層ビルが林立する。閉じ込められて行き場を失ったエネルギーが、竜巻となって天をめざしたまま固体化したかのようだ。幻の螺旋階段が出現するのは、このような場所こそ、ふさわしい。
     螺旋階段を上った螺旋蒐集家は、物語におけるもうひとつの存在と溶け合う。それは宮澤賢治である。賢治の出身地は岩手県の花巻だ。犂瓩箸い字が入っている地に育った賢治は、輪廻転生にこだわると同時に食物連鎖や生物進化の問題にも強い関心を抱いた。そのどれもが、螺旋としての構造を持っている。
     賢治は、詩(心象スケッチ)や童話などを遺したが、そもそも「文学作品」とは螺旋なのである。「吹きあがった思いの構築物」だからだ。思いの渦巻くところに、表現が生まれる。せき止められて行き場をなくした思いが、渦巻きながらせり上がり「作品」となる。
     賢治は原稿を何度も書き直したことでも知られる。発表後も作品に手を加え続けた。賢治作品に完成品としての定稿はない。「永遠の未完成、これ完成である。」(「農民芸術概論綱要」)と彼は述べた。作品の完成とは、時空に解き放つことなのだ。
     『上弦の月を喰べる獅子』も同様である。やはり定稿はない。「初出形」「単行本形」「文庫本形」、すべてが独自の面白さを持つ。どれかひとつしか読まないなんて、もったいない! 全部を読んでこそ、この作品を読むという行為が完成する。もちろん、それも、読みつくすことは決してないことを前提とした上での完成なのだが。
    「初出形」において、螺旋蒐集家は幼い兄妹が殺される瞬間の写真を撮らなかった。

    子供が殺されるのを目の前にして、それでもカメラを向けられるほど、ぼくは仕事熱心ではなかった。(〈SFマガジン〉1986年2月号)

     だから「初出形」では、その写真が発見されることも話題を集めることもない。それが「単行本形」ではこうなる。

     私は眼の前で子供が殺されようとしている時、その光景に向けてカメラのレンズを向けた人間だった。(「単行本」63ページ)

     「この世の真の相(すがた)を何らかの形にして示す能力を授かってしまった者」としての修羅の自覚の高まりが、この加筆として結実したのだろうか。 
     また「初出形」では、涼子が螺旋蒐集家に宮澤賢治の話をしたことも詩集を手渡したことも書かれていない。にもかかわらず、ラスト近くで螺旋蒐集家の死体のポケットから、彼女から彼に贈る旨を「裏表紙の裏」に記した詩集が発見される。そのせいだろうか、「単行本」では、涼子が螺旋蒐集家に詩集を手渡し、賢治について語り合うシーンがつけ加えられる。贈る旨を記した場所も「タイトルページ」となり、涼子は名を露木から高村に変える。そして「文庫本」では更に「このような、初(うぶ)な会話をすることができたのも、心を許しあえたからだろう。」という言葉まで、二人が賢治について語り合うシーンに追加される。これは、ラスト近くの「文庫本」での新たな加筆(下巻380ページ6〜7行目)が「人は幸福になれる」という確信をより高める方向でなされていることと無縁ではないだろう。一方、涼子から与えられた本によって、螺旋蒐集家がその名を作品内で獲得するという構造は、最初からずっと変わっていない。
     書き上げたことで物語が変質する。それに基づき手直しすることで、更に姿を変える。出発点から少しズレたところに立ち戻り、再び物語が繰り返される。しかし、その中心は保たれている。その意味では、手直しは作者による螺旋なのだ。それを読み返すことは、読者による螺旋である。作者と読者という二つの螺旋によって、作品は意味を獲得していく。
     あらゆる意味で、『上弦の月を喰べる獅子』は誕生の物語である。「初出版」の冒頭(〈SFマガジン〉連載第一回冒頭)で「螺旋図」が最初から示されていることでもわかる。十の螺旋を巡る十月十日(とつきとおか)…これは胎児が母胎で過ごす時間だ。
     生まれるのは、作者・作品・読者である。3つのものは同時に生まれる。どれも残り2つがなければ成立しない。作者と読者が織りなす2重螺旋の中心が作品だ。2重螺旋の空虚の中に生じるのが「作品」なのだ。作者のいないところに作品がないのと同じくらい、読者のないところに作品はない。
     そして、もちろん、ここにおける作者猝瓦魘瑤戮諤哭瓩箸蓮◆崗絽垢侶遒魘瑤戮觧盪辧廚任△襦F票圓癲△修里茲Δ北召鼎韻蕕譴訛減澆箸靴董△海海肪太犬靴覆韻譴个覆蕕覆ぁ

      ≪ヘツケル博士! 
       わたくしがそのありがたい証明の
       任にあたつてもよろしうございます≫
     
                   宮沢賢治「青森挽歌」
     
     これが、この作品の冒頭のエピグラフである。「初出形」でも「螺旋図」の前に、この詩句が置かれている。この詩句が夢枕獏に働きかけて、宮澤賢治を作品内に召喚させたのだ。生物学者ヘッケルは、生物進化の歴史を系統樹としてまとめあげた。あらゆる生物の原型はひとつであり、個体発生は系統発生を繰り返す…そう、我々はもともとはひとつだったのだ。同じく、この地球上のどこかの、ある特権的な土地から生まれ出たものだ。
     特権的な土地…あらゆる土地はすべて独自なものだ。
     固有の歴史をかかえているからというだけではない。1メートルずれたって、太陽光線の射しこむ角度からして違うのだ。交換可能な土地なんかない。そして、その一方で、我々が踏みしめることができる土地はすべて地球という大きな塊という意味では、ひとつなのである。
     この物語は、東京で書き終えられている。
     多分、この物語にとっての、特権的な土地は東京だ。岩手よりも新潟よりも、まず東京なのである。
     巻末の「次の螺旋の輪廻りのために」に、夢枕獏は次のように記している。

     昨夜、東京で、この仕事を終えた。―中略― ホテルで眠っていた時も、朝の四時半頃にどうしても続きを書きたくなり、ろくに眠ってもいないのに、灯りを点け、また、ぼくはせっせとこの『上弦の月を喰べる獅子』を書き出したりしたのだった。この十年間、何度も何度も中断し、幾度となくもうやめようかと考えたことが嘘のようだった。(「単行本」554〜555ページ) 

     それが東京のどこなのかは示されていないが、西新宿の高層ビル群の中かもしれない。
     本書と基本モチーフの類似する作品『月に呼ばれて海より如来る』を夢枕獏は1987年に発表しているが、その続編が「江戸編」になるのも、たぶん必然なのだろう。
     そういえば、星新一は「空想科学小説のなかま」と「ある晩新宿で大いに飲んだ」翌日に「ボッコちゃん」を「ふと思いついて書いた」のだった。(「ボッコちゃん誕生前夜のこと」)
     光瀬龍が1984年からずっと小説講座の講師をつとめていた狡日カルチャーセンター瓩両貊蠅癲∪梢圭匹砲△訖圭表四Д咼襪裡苅験であった。今は4階に移転して、もとの場所は「平和祈念展示資料館―戦争体験の労苦を語り継ぐ広場―」になっている。ここにも供された者の怨念が渦巻いている。
     西新宿は「日本SF作家クラブ発祥の地」でもある。
     1963年3月5日、淀橋浄水場の横を重いオープンリールのテープレコーダーを担いだ男が歩いていた。西新宿にある台湾料理店「山珍居」で行われる「日本SF作家クラブ」発足準備会の様子を録音するためだった。
     その録音を聞きながらの座談会が、その場所「山珍居」で2010年に行われた。その内容は藤田直哉によってまとめられ、「TOKON10」のスーべニア・ブックに収録される予定である。
     20年ぶりに東京で開催される「日本SF大会」…それも、作者と読者によって織りなされる「作品」のひとつである。我々は「作品」内部に分け入って、日本SFの「みのり」を味わいながら、自分自身の「名前」を獲得する作業にともに立ちあうことになるであろう。
     誕生のシーンは既に始まっている。                  
                              (宮野由梨香)



    (新宿副都心に建つ、某ビルの中の巨大な吹き抜け)


    「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」


    「単行本・ネジバナ」

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