TOKON10実行委員会公式ブログ

第49回SF大会TOKON10実行委員会の公式ブログです。
開催日程:2010年8月7日(土)〜8日(日)
<< 東京SF大全33『日本沈没』 | TOP | 東京SF大全35『シャドウラン』 >>
東京SF大全34『百億の昼と千億の夜』
0
             (小説・光瀬龍・1967年)

     日本SFに巨大な足跡を残した光瀬龍は、1999年7月7日に亡くなった。代表作『百億の昼と千億の夜』は、歴代日本SFベストを問うアンケートで、常に上位を保ち続けている傑作である。
     今回のゲストは、光瀬龍氏の奥さま(飯塚千歳さま)にお願いし、次のようなコメントを戴いた。

     1999年7月7日、光瀬龍が旅立って、11年の歳月が過ぎ去った。
    今年は「東京SF大会」と言うことで、コメントをと、さて、私はSFのファンでもなし、全く素人なので、皆様の期待なさるような事は書けないと思うので、光瀬龍としてSF作家になる前の大学時代にどんな考え方をしていたのか、ちらりと、おみせしてみましょう。
     昭和31年、彼が文学部の哲学科の頃、私宛の手紙の中

    「実は僕は科学小説が大好きなのです。別にそれが論理的であるとか、科学的だとか、そんな事が好きなわけではなく、何十年も何百年も先の世界の事、しかも遙か遠い処の星の世界や、そこに棲む生物達のいとも奇妙な形や生活、時にはそれが恐ろしく高等や複雑であったり、又、人間の眼には見えない組み立て方になっていたり、読み終って茫然としてしまう程、不思議なんです。丁度、僕の眼の前に吾々が一生涯、いや、何世代かかっても到達出来ない程、遠い距離にある天体の風景、荒涼とした沙の平原と、ぼんやりと明るい空、その地表に、わずかに棲みついて、ゆらりゆらりと、動き回っている不思議な生物、そんな妖しい、しかし、画の様な風景が浮んで来るのですよ。読み終って僕は心底、其処え行ってみたいなー、と思うのです。そんな夢幻的な遙かな想いがしばし僕を、あの昔の探検家達の様に瞑想的に、亦、憂うつにさせるのです。(長いので後略)」

     もう一通の手紙は、大学の卒論の事

    「卒業論文をそろそろ組み立てています。題名は「大乗に於ける般若波羅密多」要するに「諸行無常とは何か」ということです。それで、上野の博物館に毎週通っています。(長い手紙の中の一部です)」

     彼の手紙には、芝居や映画を観た感想等、あと夢をみた話等、書いたものが沢山あります。詩やエッセイも当時色々書いてました。それは又、別の機会にでもお見せしましょう。
     (彼の手紙の原文は、すべて、カタカナです)
                             (飯塚千歳)


    (「JA1000」として、2010年4月に出たハヤカワ文庫新装版)
    (本文の引用の後に示した頁数は、この版のものである)

    (初出〈SFマガジン〉・1965年12月号〜1966年8月号 → 日本SFシリーズ(早川書房)・1967年1月 → ハヤカワ文庫・1973年4月 → 角川文庫・1980年10月 → ハヤカワ文庫新装版・1993年7月 → 角川文庫復刊改版・1996年12月 → ハヤカワ文庫新装版・2010年4月)



     紀元前5世紀、悉達多太子は阿修羅王と出会い、そして別れた。

    「太子。いつの日にか、また逢うこともあろう。波羅門僧どもがそろそろ心配しているであろう。行かれよ」
     太子はこの美しい少女に何かひとこと、別れの言葉をのべたいと思ったが、うまい言葉が見つからなかった。阿修羅王が言うようになぜか、遠いいつの日か、ふたたび相逢うことがあるような、それも必ずあるような気がした。(187頁)

     3905年に目覚めた彼はその予感どおり阿修羅王と出会う。その場所はTOKYO」(290頁)である。廃墟にそびえる塔の基盤には、その地名が彫りつけられていた。
     物語が過去から未来に転ずる場所は「TOKYO」でなくてはならない。
     執筆時、光瀬龍はそこにいたから。
     つまり、過去と未来との接点はそこにあったから。
     今、阿修羅王は「機会を待ってこの地にひそんで」(320頁)いる。……培養タンクの中で眠りにつきながら。
     イエスは培養タンクが再び使われることがないように破壊する。タンクのある場所は、海岸である。「もとは、ここは山だったのか、それとも島だったのか」(320頁)とのイエスのセリフは、萩尾望都のマンガ版では「山か、沖の小島に偽装されてたんだろう」(秋田文庫版・238頁)となっている。
     沖の小島? 地形やサイズの描写からして、これはものすごく犢哨療膈瓩辰櫃ぁ『ロン先生の虫眼鏡』にも江ノ島は出てくるし、『明日への追跡』などの舞台にもなっている。
     光瀬龍は七里ヶ浜に別荘を持っていた。彼にとっては特別な場所で、そこも「TOKYO」と認識されていたのだろう。
     江の島は「近代博物学発祥の地」である。1877(明治10)年、エドワード・S・モースがここに日本で最初の臨海実験所を設けた。光瀬龍は東京教育大学理学部動物学科と文学部哲学科を卒業している。東京教育大学と言えば、丘浅次郎が教鞭をとっていた大学(当時は「高等師範学校」)である。進化論の紹介者として名高い丘浅次郎はホヤの研究が専門だった。その息子の丘英通が、光瀬龍の卒論指導にあたっている。もしかしたら、青春の思い出にも深く結びついている土地なのかもしれない。
     光瀬龍にとって、魂の還る場所は常に海だ。
     『百億の昼と千億の夜』(新装版)のラストも、『喪われた都市の記録』のラストも、『ロン先生の虫眼鏡』のラストも、それを伺わせるものである。
     東京へ来たら、ちょっと足を延ばして江ノ島まで行ってみよう。光瀬龍の墓は、そこからほど近い山の中にある。
     彼が遺したものに思いをはせながら、江ノ島と向き合い「あの中に阿修羅王が…」と考える。
     足元に波が来る。
     おもわず、口をついて出る、あの冒頭部。
     あなたは気がつく。
     彼が還るべき海は、「寄せてはかえし/寄せてはかえし…」とつぶやくあなたの中にある。
                           (宮野由梨香)


    (七里ヶ浜における、ありし日の光瀬龍)

    【付記】
     『百億の昼と千億の夜』に関して、光瀬龍が次のように語ったことがあった。ちょうど萩尾望都によるマンガ化の連載が始まろうとしていた時期にである。

    光瀬 実は、あれ(『百億の昼と千億の夜』宮野註)は、自分自身の気持ちとしては前編なんですよ。あれで終りじゃない。
    石上 いずれ、お書きになるということですか。
    光瀬 と、思ってはいるんですが……。
    (〈奇想天外〉一九七七年八月号「対談 光瀬龍VS石上三登志」一三〇頁)
     

     この発言から二十二年後の一九九九年七月七日に、光瀬龍は「食道ガン」のため七十一歳でその生涯を閉じた。「いずれ書こうと思っている」という趣旨の発言があったにもかかわらず、彼は結局『百億の昼と千億の夜』の「後篇」を書かなかった。だから、残念ながら、我々はそれを読むことができない。……『百億の昼と千億の夜』の「後篇」に関しては、そのような把握が一般的なものであろう。
     だが、実はそうではないと、私は考えている。光瀬龍は生前に「後篇」を書き上げ、しかもそれを出版していた。『異本 西遊記』(ハルキ・ノベルス・(株)角川春樹事務所) が、それである。
     光瀬龍はそのつもりでこの作品を書き上げながらも、「これは『百億の昼と千億の夜』の「後篇」だ」とは言わなかった。「「阿修羅王」とは何か」ということが判っている読者には、この作品が『百億の昼と千億の夜』の「続編」であると明確に認めることができるからである。彼はそういう読者だけに向けて「続篇」を書いたのだ。
     『異本西遊記』は、王宮のバルコニーで自らの国と人民を憂える王の姿を描き出すことから始まる。

     弥勒王はこの頃憂鬱だった。
    (弥勒というと、読者はあの京都の太秦、広隆寺の国宝弥勒菩薩半跏像を思い出すかもしれないが、ここに登場する弥勒は、人相も人柄もあれよりずっといいかげんで、五日間も顔を洗わなかったり、三日に一ぺんは二日酔いで頭が持ち上らなかったり、そうかと思うと、大臣からの報告の書類をトイレでしゃがみながら読んでいて下へ落したり、まあ、そんな大王だった)
     弥勒王は自分の国が気に入っていたし、それ以上に、人民どもが好きだった。
     弥勒王は都のにぎわいに耳を傾けた。
     だが、弥勒王はこの頃憂鬱だった。
                     (『異本 西遊記』九頁)


     主人公の「蘭花」をサマルカンドへ遣いに出す王の名前は「弥勒」 なのである。
     どうして王にこんな名前をつけたのだろうか? 
     「西遊記」にも、そのもととなった「大唐西域記」にも、このような名前の王は登場しない。この作品のために、わざわざ名付けたのだ。しかも、( )内の記述によって、読者に「広隆寺の国宝弥勒菩薩半跏像」を思い出させようとしている。そして、その上で「人相も人柄もあれよりずっといいかげん」と、その落差を強調する。
     ここで「弥勒」という文字を目にして『百億の昼と千億の夜』を思い出す読者は少なくないだろう。だが、描き出されるイメージの違いに、『百億の昼と千億の夜』と『異本西遊記』を結びつけて考えようとすることをやめてしまう。
     しかし、それこそが「光瀬龍」の施した「罠」であり「謎掛け」なのである。
     そのうちに、また( )がでてくる。沙悟浄が蘭花に言うセリフの後だ。

    「大王さま。かわいそう。何千年待ったって、百科事典、手に入らないかもしれないわよ。でも、あの人、待つの馴れているから」
    (読者はここでもう一度、あの京都の太秦広隆寺の国宝弥勒菩薩半跏像を思い出してください。軽くほほづえを突いてもの想いに沈んでいる比類ない優美な姿は、あれは実は考えているのではなくて、待っているのだ。何を待っているのかというと、五十六億七千万年ののちにやって来るというこの世の終りだ。その時、ようやく待ちに待った彼の出番が回ってくる。彼の仕事は救済(レスキュー)である。宇宙の始まり、つまりビック・バンが四十七億年前だったとすると、弥勒王はあと九億年余も待たなければならない。御苦労さまとしか言いようがない)
                        (『異本 西遊記』二十七頁)


    「罠」にはまって、最初の部分をうっかり読み過ごしてしまった読者も、さすがにここに来て気づくことになる。
     どうやら「弥勒」というのは、単なる思い付きでつけられた「王の名前」ではないらしい。光瀬龍は何らかの意図をもって王の名を「弥勒」にし、しつこく( )内の説明を加えることで、我々に『百億の昼と千億の夜』を想起させようとしているようだ。
     その証拠に、「弥勒王国の都」は「兜率天」である。(十四頁)
     また、すぐに「梵天王」が登場する(三十七頁)。
     「オリハルコン」も出て来る(八〇頁)。悟空が持つ「如意棒」の材質が「オリハルコン」なのだ。そして、ここでも、失われた大陸アトランティスに関する長めの説明がつく。
     そして、「阿修羅王」が登場する(一〇八頁)。
     阿修羅王が悟空と出会い、求めに応じて一行の危機を救うのである。
     だが、その阿修羅王の相(すがた)は三面六臂の興福寺の「阿修羅像」そのままで、しかも「物識り仙人」と紹介されている。
    「これは『百億の昼と千億の夜』の「関連作品」 なんだろうか? それにしては、思い出させては、そのイメージを否定することを繰り返している。自作パロディの、単なる「お遊び」なんだろうか?」と思いながら、読者は『異本 西遊記』を読み進む。
     そして、こう感じている自分に気がつく。
     「この本を読んでいると、何だか過去に読んだ光瀬作品がやたらと頭に甦ってくるような気がするなぁ。なぜだろう? 本文の向こう側から、いろいろな光瀬作品が立ち上がってくるみたいだ」
     最初は、「同じ作者であることから来る必然」あるいは「これもお遊びか」と読み過ごしている。しかし、文体の統一性やストーリーの流れを乱してまで、過去の「光瀬作品」を読者に思い出させようとしているのではないかという「疑惑」が、読むほどに「確信」に変わっていく。
     どうやら、光瀬龍は、『異本西遊記』の中に、自らの作品中の「登場人物」や「地名」や「概念」や「文体」や「情景」や「語句」や「要素」を意図的にに入れ込んでいるようなのだ。しかも、入れ込みつつ「外して」いる。その最大のものとして、『百億の昼と千億の夜』があるらしい。
    「どうしてこんなことをしているのだろうか」と頭の隅で考えながら読み進むうちに、この作品の「奇妙さ」がそれだけではないことがわかってくる。
     基本的に、軽い調子の読みやすい文体である。なのに、読むと異常にエネルギーを消耗するのだ。向かい風の中を歩いているような抵抗感がある。それなのに、それをもたらしているものが何であるかが判然としない。息苦しくなるような切迫感を伴った、異様な「清冽さ」と「禍々(まがまが)しさ」のアマルガム……としか言いようのないものが、文章の奥から吹き上げてくる。
    いったいこれは何なのだろうか?

     この作品が書かれた時の作者の状況を確認しておこう。
     光瀬龍の死因の「ガン」について、眉村卓は次のように書いている。

     一九九七年十二月、某社の年末の会食で、ぼくは光瀬さんと隣り合わせになった。
     あれこれと話をするうちに、ぼくは、六月に妻が末期のガンと判明したことや、それ以来の日々について喋ってしまったのだ。
     すると光瀬さんは、自分も三年前からガンなのだと語り、健康食品の名前などを挙げていろいろ教示してくれたのである。
              (〈SFマガジン〉一九九九年十一月号 二二四頁)


     一九九七年の三年前というと、一九九四年である。
     死を迎える五年前に「ガン」と判明していたということになる。
     となれば、一九九七年一月に連載を開始した『異本西遊記』を自らの最後の作品として光瀬龍が意識していた可能性は、かなり高いのではないだろうか。
     「評伝 光瀬龍が見た空」(立川ゆかり)の中に、『異本西遊記』の執筆の状況に関する記述がある。

     光瀬に病魔が忍び寄ったのは一九九五年頃のことだった。光瀬は不治の病に倒れてしまう。最初の入院は一ヵ月ほどで済んだものの、手術は体に大きなダメージを与えた。
    (〈北の文学〉第53号 立川ゆかり 「評伝 光瀬龍が見た空」一七九頁)


     この「体に大きなダメージを与えた」手術とは一九九六年五月に行なわれたものであったらしい。

    「赤旗」の日曜版に「異本西遊記」を掲載していたころも入院中であった。しかし、入院生活の間も執筆の手を休むことはなかった。病院の応接間に、原稿用紙とペンを持ち込んで執筆を続けたという。 
    (〈北の文学〉第53号 立川ゆかり 「評伝 光瀬龍が見た空」一七九頁)


     なかなかすさまじい執筆状況である。
    『異本西遊記』は自らを「ガン」と知る作家が、入院中も病室で書き続けた作品なのである。
    その作品に、特別に何らかの「意味」がこめられていた、ないしは、こもってしまったとしても不思議ではない。いや、むしろ、その可能性が高いと考えて然るべきではないだろうか。
           
     『異本西遊記』の本文の向こう側から立ち上がってくる「光瀬作品」には、例えば次のようなものがある。
     梵天王の城は「アヨドーヤ」にある(三七頁)。これは『宇宙叙事詩』等にでてくる地名である 。『宇宙叙事詩』所収の「アヨドーヤ物語」には「北から来た吟遊詩人、サダ・ナブリン・カカ」 が登場するが、『異本 西遊記』において蘭花にプロポーズしたサマルカンドの王の名前は「サダ・ナブリンカカ」である。八七頁「たそがれの楼蘭」の章題も、そのまま『宇宙叙事詩』中に同じ章題がある。この章の冒頭の風景描写は『東キャナル文書』の中の「火星人(マーシャン)の(・)道(ロード)」の冒頭が踏まえられている。たそがれの描写はそのまま『たそがれに還る』も想起させる構造になっている。小説作品だけではない。六〇頁の戦後の逸話は『闇市の蜃気楼』を、一一六頁からの「ツングースカ隕石」に関する記述 からは『失われた文明の記憶』といったノンフィクション的作品を連想させる。沙悟浄と兄をめぐるいきさつは『平家物語』っぽい。二十頁に「香炉峰の雪」が「すだれを巻き上げる」に関連して唐突に出て来るところは、光瀬龍が原作を書いたマンガ『枕草子』を思い起こさせる。
    「セクハラがらみの酒の無理強い」(一九五頁)は、『征東都督府』で、勝海舟が樋口一葉にしてみせたことである。『征東都督府』といえば、沙悟浄は蘭花を「お姉さん」と呼んで慕うが、この二人の関係は、「かもめ」と「笙子」の関係に似ている。また、弥勒王が蘭花たち一行を見送りながら思い浮かべた詩句 は、そのまま『征東都督府』において土方歳三が勝海舟との勝負に赴く際に耳にしたものだ。
     そもそも、与えられた目的のために、遠く旅立つという設定は、『年代記シリーズ』等で繰り返し描かれてきた ものである。
     若く美しい女性が仲間を獲得して旅に出るというパターンは『宇宙航路』を思わせる。
     文体など、全体のトーンは「ジュヴナイル」である。
     こういった過去の光瀬作品の入れ込みが「ストーリーの流れ」を乱してまでなされていることが、よくわかる例をひとつ、示しておこう。
     『異本西遊記』の中に、河童と田(タ)鼈(ガメ)の戦争場面がある。
    そこで、いきなり次のような説明が始まる。

     年配の読者はタガメという虫はよく御存知だと思う。―中略―体長は時に七センチメートルに達し、全身茶褐色で、前肢はハサミのようになっていて鋭い爪がある。―中略―セミやヨコバイ、カメムシなどのなかまで、口がするどくとがった管になっていて、これで魚やカエルの体液を吸う。ねらわれたキンギョもドジョウも、逃げることは不可能だった。
                         (『異本西遊記』一八七頁)


     こうして、約一頁を費やしてタガメに関する生物学的説明が続く。
     我々は思い出す。『ロン先生の虫眼鏡』の中に次のような箇所があったことを。

     タガメというのはご存知の方もいようが体長七センチに近い大形の水棲昆虫だ。半翅目というグループに属し、セミやウンカ、カメムシなどと類縁の種類だが、この半翅目に共通する特長は口器がするどい吻になっていて(セミの口を思い出してください)それを植物や動物の体に突き刺して栄養を吸収するのだ。
            (『ロン先生の虫眼鏡』(早川書房単行本版)一七七頁)


     『ロン先生の虫眼鏡』を連想させる箇所は一四六頁にもある。「ケラ」についての説明である。二一八頁では「ヒルムシロ」という植物について、物語の本筋とは無関係の筆者の少年時代のエピソードが語られている。
     これらは、どう考えてみても、作者が意図的に過去の自分の作品を読者に想起させることを目指して仕組んだことであろう。
    『異本西遊記』は、「なんらかの形で過去の光瀬作品のすべてに言及しており、構造的には解体しつつ構築するという、文字どおり脱構築的手法で書かれた自己言及作品」 だったのだ。
     かつ、このような箇所もある。伽羅於慶(カラオケ)に誘われた沙悟浄が、猪八戒に言うのだ。

    「いいけどさ。八戒がいつもうなっている、猜未譴討盞いな人瓩箸猝燭笋蕕覆き瓩箸、あんなのいやだよ。わたい、おやじギャルじゃないんだからね」
    (『異本西遊記』一六五頁)


    「プリクラ」も二六三頁にでてくる。
     光瀬龍は、流行語を作品中にあまり書き入れないタイプの書き手だった。「流行(はやり)ものはすたりもの」ということを承知していたからであろう。その彼がわざわざこのように書いたということに、作中に「自分の作品」だけではなく「自分が活躍した時代」を封印しておこうとする意図を感じ取ることができる。
    『 異本西遊記』が発表時あまり高く評価されなかったのは、このあたりの真意を読み取ることのできる読者が少なく、「巨匠の筆のすさび」として受け止められてしまったからでもあるのだろう。
     また、『異本西遊記』中に「掘‥譴傍△襦廚箸い章題があるが、これは小学生の頃に光瀬が愛読したという小説の題名 をそのまま使用している。自らの原点をこのような形で示しているのだ。「文学的原点」という意味では、宮澤賢治や井上靖の要素も入っている。
     さて、以上に述べたことから、私は次のような結論にたどりついた。
    「『異本西遊記』は『百億の昼と千億の夜』の「後篇」である」と。
    『百億の昼と千億の夜』は、作家「光瀬龍」の誕生の軌跡を封印した「私小説」としての側面を持ち、本人もそれについて非常に自覚的であった。(拙稿「阿修羅王は、なぜ少女か……光瀬龍『百億の昼と千億の夜』の構造」(〈SFマガジン〉二〇〇八年五月号所収)参照。)その『百億の昼と千億の夜』が「前篇」なら、「後篇」の内容は「光瀬龍」の作家としての活動について語った「私小説」になるのではないか? 
     また、光瀬龍は、自らの死が間近いことを知っていた。
     死期が迫った時、「作家」である人間が考えることは何だろう? プロの小説家として活躍を続けた「光瀬龍」である。自らの肉体の「死」が、決して作家の「死」ではなく、まして作品の「死」ではないと信じたかったのではないか。 
     また、『百億の昼と千億の夜』で描かれた「敵」は「シ」と呼ばれる存在であった。『異本 西遊記』は、作家自身に刻々と迫り来る「シ」と対峙しながら書かれたものなのだ。
     その意味でも、この作品は『百億の昼と千億の夜』の「後篇」なのである。
     『異本 西遊記』は、現在、絶版となっている、
     この作品の意義が正しく評価される日が来ることを、宮野は、今、心から望んでやまない。

    【付記の付記】
     この「付記」は拙論『「阿修羅王」とは何か』(400字×130枚・未発表)の一部抜粋です。まとまりが悪くて申し訳ありません。この部分だけでは、説得力がないかとも思いますが、あまりにも不遇な『異本西遊記』にご興味を持っていただくきっかけにでもなればと存じまして、あえて載せました。

                            (宮野由梨香)


    | 東京SF大全 | 07:07 | comments(1) | trackbacks(0) | - | - | ↑PAGE TOP
    コメント
    管理者の承認待ちコメントです。
    | - | 2016/05/30 7:04 AM |
    コメントする









    この記事のトラックバックURL
    http://blog.tokon10.net/trackback/1059004
    トラックバック