TOKON10実行委員会公式ブログ

第49回SF大会TOKON10実行委員会の公式ブログです。
開催日程:2010年8月7日(土)〜8日(日)
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東京SF大全37「塵埃は語る」(『少年科学探偵』より)
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    カーテンコール

    (児童文学・小酒井不木・1926年) 


    (『小酒井不木探偵小説選』(論創社「論創ミステリ叢書8」)
       (引用は本書によった)

    (〈子供の科学〉・1926年 → 『小酒井不木全集 第13巻 探偵小説短篇集』(改造社)・1930年 → 『少年科学探偵集』(平凡社「少年冒険小説全集」)・1930年 → 『少年科学探偵』(春陽堂少年文庫)・1932年 → 『紅色ダイヤ』(世界社)・1946年 →『少年少女世界の名作文学 第48巻』(小学館)・1967年 → 『小酒井不木探偵小説選』(論創社「論創ミステリ叢書8」)・2004年)

     誰しも「原点」がある。
     あなたにとっての原点は何だろう?
     私、宮野にとっては、この「塵埃は語る」である。小酒井不木による『少年科学探偵』シリーズの中の一篇だ。1961年生まれにしては、ずいぶん渋い、とか言われそうだが、もちろんそれなりの理由がある。
     小酒井不木(1890年〜1929年)は日本における推理小説の草分け的存在である。江戸川乱歩にも大きな影響を与えた。この『少年科学探偵』シリーズは特に評価が高い。小学館の『少年少女世界の名作文学 第48巻』にも収められていて、宮野の世代でも手に取る機会の多い作品である。
     主人公、12歳の塚原俊夫くんは、麹町に住んでいる。天才少年である彼は、科学知識と持ち前の推理力を駆使して難事件を鮮やかに解決し続ける。俊夫くんに探偵になることを勧めたのは、赤坂の叔父さんだ。
     別に麹町でなくとも、赤坂でなくとも話は成り立つ気もするが、作中には東京の具体的地名がいちいち示される。
     なぜだろうか?
     小酒井不木は、この作品を発表する4年前、雑誌〈新青年〉1922年2月増刊号に載せたエッセイで次のように書いていた。

     ある探偵小説の中に「紐育は世界中で最も安全な隠れ場所である」と書いてあった。倫敦にいると、スチーブンソンの書いた『新アラビア物語』の中の話も無理でないと思った。これに反して東京あたりではどうも奇怪な、大きな犯罪が事実ありそうにも思えぬし、また東京を背景として小説を書いてもさほど面白くなかろうと思う。
                     (「科学的研究と探偵小説」)

     
     さほど面白くなかろう……それでも、東京を舞台に作品を書いた。いや、だからこそ書いたのだ。そして、面白くするために工夫を凝らした。
     更には、東京の地名が印象に残るようなストーリーを組み立てることを考えた。多分「塵埃は語る」は、そのひとつなのだ。
     誘拐事件に巻き込まれた俊夫くんは、目隠しをされたまま自動車で連れ回され軟禁される。軟禁場所では汽車の通る音を聞き、また、雨戸の節穴から寺の屋根と門を見る。
    (注意! この先、論の展開のためにやむを得ないネタバレあります。)
     再び目隠しをされ、連れ回された後に解放された俊夫くんは、一味の隠れ家を見事につきとめる。彼は隙をみて軟禁場所から塵埃(ほこり)を持ち帰っており、それを顕微鏡にかけて言うのだ。
    「塵埃(ほこり)の中に、小麦の粉とカルシウムと粘土の粉とがまじっているのです。ですから製粉工場とセメント会社が近くにあって、しかも、鉄道が通っているところです」 
     それに、刑事がこう応じる。
    「それなら、日暮里です」
    「では、日暮里のお寺を捜せばよい」
     
     かくして、一件落着。
     先のエッセイで、ハドソン河畔にポーの小説を、ベーカー街にシャーロック・ホームズを、巴里の街にルコック探偵を思い浮かべる「この上ない楽しさ」を述べた小酒井不木である。その楽しさが東京でも実現できないかと考えたのだろう。
     その試みは成功した。私事で恐縮だが、地方出身の宮野が初めて意識した東京の地名は「日暮里」だった。この作品とともに、記憶に焼きついた。いまだに電車に乗って日暮里のあたりを通り過ぎる時は、「ここは、俊夫くんが軟禁されたところね♪」と思ってしまう。 
     また、この作品は宮野を「SF評論」に目覚めさせるきっかけにもなった。
    「これは嘘だ。顕微鏡だけで、小麦の粉とカルシウムと粘土の粉とわかるわけがない」
     本をのぞきこんだ宮野の父が、無粋なツッコミを入れてきたからである。
    「近くに製粉工場とセメント会社があるから、それによって推測するということなら話はわかる。その逆は無理だ。しかも、この量で、この時代の顕微鏡で?」
     それがいかにあり得ないことであるかを、父は小学生の宮野に説いた。その内容はほとんど忘れてしまった。多分、小学生の理解のレベルを超えていたのだろう。宮野が理解できたのは、この話が分析化学を専門とする科学者の父の逆鱗に触れたということだけだった。
    「科学探偵だって? これのどこが『科学』なんだ? 全くのデタラメじゃないか」
     父の決めつけに「なんか違う」と思いながらも、反論できなかった。そのための言葉を持たなかったのだ。
     その10年後、大学生となった宮野は、学園祭で、あるSF作家の講演を聴いた。彼は、SFというジャンルの成立について語った。「疑似科学こそ、SFの生命」と述べた安部公房の有名な言葉もこの時初めて知った。「仮説によって日常性から飛翔するのがSFであり、科学はその仮説を形象化するための素材にすぎない」と聞いて、眼から鱗が落ちた。
    「そうか! 『塵埃は語る』はSFだったんだ! 微量物質での場所の特定という仮説を形象化した作品なんだ!!」
     作品の価値をこのような形で主張できるということに、宮野は深い感動を覚えた。
     その後に、小酒井不木が日本SFの始祖のひとりとされる人物であることを知った。  
     そんなわけで、
     「塵埃は語る」は宮野の原点である。「東京SF」の原点であると同時に、「SF評論」の原点でもあり、執筆活動の原点へと宮野を導いた作品ともなった。
     これがなかったら、多分、宮野は今、ここにはいない。
                                  (宮野由梨香)


    (日暮里駅)
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