TOKON10実行委員会公式ブログ

第49回SF大会TOKON10実行委員会の公式ブログです。
開催日程:2010年8月7日(土)〜8日(日)
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東京SF大全42「太陽の帝国」
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    「太陽の帝国」
    (小説・樺山三英・〈SFマガジン〉2010年9月号所収、早川書房)


     2009年の11月にTOKONブログの更新がスタートしてから、瞬く間に9ヶ月あまりの月日が過ぎ去った。
     当初は雀の涙ほどだったアクセス数も、3月末の「メガテンの記憶」(鈴木一也)から4月頭の「大阪SF大全」シリーズに至る流れで一気に増大し、いつの間にやらTOKON10公式ブログで連載してきた「東京SF大全」はウェブの枠をはみ出して、〈SFマガジン〉2010年9月号の「特集・東京SF化計画」という形を取り、ついに商業媒体にまで進出を遂げることとなった。さらに、TOKON10で配布されるスーヴェニアブックにおいては、ウェブや雑誌とは別の「東京SF大全」(約2000字の論考×9名)に、日本SF評論賞受賞者たちの選定による「東京SFビブリオ100」が掲載されることとなっている。
     月並みな表現で申し訳ないが、これはまさにSF的な事態だと思われまいか。少なくとも、9ヶ月前にはここまで盛り上がるなどと、誰も予測してはいなかったはずだ。
     ここで筆者は「東京SF大全」に取り上げるべき作品選定から執筆・作業分担に至るまでの諸々の苦労話を、思いきって開陳したい衝動に駆られている。
     だが、ここはひとまず「SFマガジン」2010年9月号の小谷真理の顰みに倣い、「TOKON10、がんばってます」との言明に留めておくとしよう。

     しかしながら、ひとつ気がついたことがある。
     事態はもはや、私たちのコントロールの枠を外れてしまっているようなのだ。
     「SFとは、個人理性の産物が個人理性の制御を離れて自走することを意識した文学の一分野である」と語ったのは柴野拓美だったが、こうした柴野の評言の正当性を、「特集」の枠を外れながらも、静かに、しかし確固たる存在感を放つ一つの短篇小説を眼にして、再確認させられる事件が起こったのである。
     同じ〈SFマガジン〉2010年9月号に掲載された、ひとつの小説が、そのことを証しだした。その作品の表題には「太陽の帝国」と記されている。

     『太陽の帝国』。
     言わずと知れたJ・G・バラードの代表作。ブッカー賞候補、スピルバーグ監督による映画化と、錚々たる伝説を残したバラードの自伝的小説のタイトル。そして、〈SFマガジン〉最新号に掲載されたその名を冠した短編。

     「それで、次は何をやるつもりなんです?」
     かようないささか当惑させられる問いかけから始まり、本作を含めた一連の短篇連作全体が「《ユートピア的想像力》をテーマにした、古今の作品の二次的創作」であるという事情をいきなり開陳してみせるこの短篇は、のっけからその作品の成立自体が、末期癌による死もいまだ記憶に新しいJ・G・バラードの長篇からの本歌取りとなっていることを、多少の衒いとともに告白してみせる。

     「それで、次は何をやるつもりなんです?」
     この問いかけが発された場は、語り手の記述を信用するのであれば、SFセミナーという30年の伝統を有したサーコン系のイベント、すなわち理論と言語を手がかりにSFの可能性を模索することを旨とした催し物における、合宿企画の会場においてなされたものだという。
     そもそもSFセミナーというイベントは、「東京SF大全」が模索してきたような理論と思弁を中心に据えることでSFの可能性を探る試みを一貫して持続させてきた催しである。
     そして、おそらく「太陽の帝国」のモデルとなっているであろうSFセミナー2010は、20年ぶりの東京でのSF大会の前夜祭的な雰囲気が色濃いものであった。実際にSFセミナー2010では、「太陽の帝国」の作者と一緒にその小説について語るというパネルも存在したというから、「太陽の帝国」がSFセミナーへの応答であると読むのは間違いではあるまい。
     しかし「太陽の帝国」の記述は、SFセミナーの会場における応答から、バラードという固有名を介することで、海を越えた上海へと一気に飛躍する。そしてこのテクストは、上海という「外部」から、東京を逆照射することで、それ自体が優れた東京SFでありながら、来る東京でのSF大会に向けての批評ともなっている。

     語り手によればバラードとは、「上海の死に立ち会った一人」であるという。「終わる世界、滅びゆく人々の姿」に取り憑かれた作家と、その似姿たる『太陽の帝国』の主人公、ジム少年の足跡を追いながら、語り手はバラードとジムの類似性と差異、そして(日本軍の)収容所を通じ、「思春期を迎え、大人の精神の基礎を学んだ」バラードの、矛盾した記憶の性質と脅迫観念について説明する。そこから記述は、多分に虚構的な「バラードの初期の短篇」の描写へと、緩やかな移行を遂げていく。
     「太陽の帝国」内の「バラードの初期の短篇」は、それ自体が枠物語の一部に過ぎないのか、それとも間接話法を通じたバラードへの忸怩たる妄念の表出なのかが、意図的に混同した形で描かれている。それゆえ語りの内部で言及される「バラードの初期の短篇」も、その梗概は「バラードらしさ」の典型をなぞるように見せかけながらも、その実、過剰なまでの情緒を身にまとうことを余儀なくされている。
     ただし、ここでの「バラードの初期の短篇」はまったくの虚構であろうと、後の段落ですぐさまそうした事実が仄めかされることで、テクストの入れ子構造はさらなる混濁を見せ始める。
     語り手が「バラードの初期の短篇」について「メールで問い合わせ」をしたという「セミナーで同席した、バラードの翻訳者の人」が誰であるのかは知る由もないが、「東京SF大全」内で公開されたバラード「終着の浜辺」論(増田まもる)を参照すれば、この「バラードの初期の短篇」の虚構性が際立って見えるのは間違いない。

    死せる大天使の坐像に入口を守護された巨大ブロック群のことを考えながら、トラーヴェンは忍耐強く彼らが話しかけてくるのを待った。その間も、遠くの岸辺では波が砕け、炎上する爆撃機が夢の中を墜落していくのだった。


     「終着の浜辺」を論じた増田まもるは、同作品の末尾を上記のように訳出している。この引用文に顕著なように、バラード作品において、テクストの運動性は夢や記憶の内部に取り込まれ、無時間的なものとして再構成される。そのためバラードの作品において、作中人物はいわば物質としての「死者」が体現する無機質性にこそ突き動かされることとなる。
     これは現代に特有な事例なのか。そうかもしれないし、またそうでないとも言える。
     「太陽の帝国」内では、記憶の集合体としての歴史性、そして「大躍進2.0」と呼ばれる、グローバル市場を背景とした文化帝国主義と、それに関連したシミュラクルの問題が語られる。ここからバラード本人の『太陽の帝国』に立ち返れば、ブライアン・オールディスの「リトル・ボーイ再び」のように、人間の実存が剥き出しとなった「例外状態」(アガンベン)をショーとしてスペクタクル化した状況があるとすると、バラードの作品はそうしたスペクタクルを希求する強迫観念そのものに焦点を当てているように見える。
     だが、スペクタクルを基体とした「下り坂カーレースに見立てたジョン・フィッツジェラルド・ケネディ暗殺事件」のような作品においてさえ、ショーアップの模様は無機質的に描かれる。そこには、消費社会が喧伝する、祝祭的空間への素朴な称揚は見られない。
     吉見俊哉は『都市のドラマトゥルギー』で、近代の「博覧会」に代表される祝祭的空間の成立に、いわば「異界」を見出したが、バラードはさらにその内奥に分け入り、祝祭によって称えられる「死者」の実相を取り出そうと試みたと言えるだろう。
     だからバラードの描き出す祝祭は徹頭徹尾、静的なものだ。いやこうした静的な無機質性に、バラードは(おそらくアラン・ロブ=グリエとも共鳴するだろう)強烈な官能性の「まなざし」を差し向ける。だからこそ、バラードの描く「死者」はある種の審美性を帯びた形で、読み手に迫ってくることになる。
     そして「太陽の帝国」と題された短編は、こうした「博覧会」としての「異界」における、「死者」とのエロティックな交信を、バラードを読む「ぼく」の立場から再確認したものとして結論づけることができる。
     「太陽の帝国」がその末尾に連なる「《ユートピア的想像力》をテーマにした、古今の作品の二次的創作」シリーズは、今まで連綿と〈SFマガジン〉誌上で書き連ねられてきた。「一九八四年」(ジョージ・オーウェル)、「愛の新世界」(シャルル・フーリエ)、「ガリヴァー旅行記」(ジョナサン・スウィフト)、「小惑星物語」(パウル・シェーアバルト)、「無何有郷だより」(ウィリアム・モリス)、「すばらしい新世界」(オルダス・ハクスリー)、「世界最終戦論」(石原莞爾)、「収容所群島」(アレクサンドル・ソルジェニーツィン)と、ダルコ・スーヴィンが『SFの変容』で記したようなSFの源流としてのユートピア文学の系譜をたどり直し、さらにその先へと突き進んでいく。
     しかしながら、やがて戦争と虐殺、収容所の問題が現前してくるにつれ、SFの根源への沈潜を続けるうちに、意識的な抑制をもってテクストの内に埋没させられていた「ぼく」の位相は変転を続け、ついには「太陽の帝国」をもって、剥き出しのまま表出させられることになる。

     アガンベンの『アウシュヴィッツの残りもの』にも記されている通り、二〇世紀以降、「例外状態」の有様を最も鮮明に突きつけてくるのが収容所という形象だ。佐藤哲也は収容所文学の傑作である『妻の帝国』において、そうした現在を「東京郊外というわたしの個人的な現実に、強制収容所という20世紀的な現実を重ね合わせ」(「Anima Solaris」の著者インタビュー)たものとして描き出したが、そうした流れで言えば「太陽の帝国」は、ここで佐藤の言う「わたしの個人的な現実」を、いわば再帰的にバラードという固有名を経由することで、文学とSFをめぐる想像的な伝統、そして大文字の歴史性が交錯する地点に出会わせようとした試みだと言うことができる。
     そして、奇しくもそのバラード観は、「太陽の帝国」内に登場する「SFセミナーの合宿」のちょうど前年に行なわれた「SFセミナー2009 〈合宿企画〉「スペキュレイティヴ・ジャパン」バラード追悼と読書会」(〈科学魔界〉52号、TOKON10にて頒布予定)で語られた内容とささやかな照応を見せているように思われる。SFセミナー2009において、『太陽の帝国』がいかように語られたのかを見てみよう。

    永田弘太郎:私が思うのは、バラードを読んでいて、『太陽の帝国』を読んだ時に、何を書いているのかがわかっちゃったということ。結局、あの人は収容所のなかの話をずっと書いているんですね。(中略)強制収容所のなかは時間がない世界。永遠の時間を持った世界が彼らの前に現れる。あと、自分たちが自由にあるためにはどうすればよいかが語られる。それには狂気にならなければならない。強制収容所の世界では、狂うことが自由になる方法だという。それに、死の力を借りることで自由になることができる。バラードというのは、そういうところで、そういうものを通して、自分たちが置かれている強制収容所から出ようとしているところがある。強制収容所のイメージが現代社会にイコールとなっていくのが、バラードがだんだんやってきたことだ。(後略)
    来場者:バラードは収容所から抜け出そうとしたというか、未だに抜け出せていないんじゃないですか?
    増田まもる:外へ出ようとはしてはいない。
    藤田直哉:ユートピアなんですよね?
    増田まもる:そう、ユートピアなんだよ。
    永田弘太郎:ユートピアであってはいけないんだけど、ユートピアになってしまうところが、小説を生む原因になったんじゃないの? どちらかに決定してしまっていたら、小説は書かなかったと思うのね。
    増田まもる:あるいは、『太陽の帝国』でトラウマみたいなものにケリがついてしまったら、もう書かなかったと思う。ケリがついていない。むしろもっと加速しなければならないという何かを得たのだと思う。(後略)
    (理解を促すため、本引用では一部を省略し、発言者名を明確にした)


     ユートピアとしての収容所。故郷としての敵国。名を与えられていない「来場者」の発言の重みが響き渡る(発言の記録・編集に関わった作業者として言えることは、不可思議なことに、テープ起こしをしていると、この台詞だけが誰の言葉でもあり、また誰の言葉でもないように聞こえ、判別が不可能だったことだ)。
     「太陽の帝国」の語り手の認識は、ここでの討議の地平と不思議な照応を果たし、バラードという固有名を通じて、生と死の端境をさまよい、虜囚として暮らした時代を最も幸福な日々、恐れながら「どうしようもなく惹きつけられる」ものとして説明する。
     増田まもると柳下毅一郎は、「時間の墓標 J・G・バラード追悼」(http://speculativejapan.net/?p=102)において、『太陽の帝国』執筆時の上海を、「おそらくは世界で最も頽廃した土地」であり、「野垂れ死にを余儀なくされる人」と「ものすごく華やかなナイトクラブで遊び惚ける特権階級」という2つの全く異なる世界が、放埒と死と病を媒介として重ね合わされていた世界だったという意味のことを語った。こうした多重性が明らかになると、「異界」をめぐる「まなざし」は否応なく混交を強いられることになる。
     「太陽の帝国」の記述は、上海のスノビズムがある意味において加速度的に進行した状況を背景に置くことで、バラードの読み直し(リ・リーディング)を通じ、やがては「死者」としての「ぼく」の召喚へと行き着くことになる。

     しかしながら、「バラードが描いた朱鷺色の砂漠(ヴァーミリオン・サンズ)」に比べ、「ぼく」が心に描いた「砂漠」は、単なる「きめの荒い黄色い砂地」に過ぎない。そして、その「ぼく」を成立させた、シミュラクルの原型たる「上海」を遡って語り手が幻視したのは、「ぼく」そのものが抹殺された現在が到来していた可能性である。「太陽の帝国」に至る連作を追いかけてきた読者であれば、ここでの「ぼく」の消滅の可能性が、すなわち、大文字の「歴史」そのものの崩壊の可能性でもあると理解することができる。

     「太陽の帝国」では、「八月に船堀で行われるSF大会の実行委員」でもある「批評家の友人」が漏らす、「東京SF大会と銘打って、東京にちなんだものにする予定」であったはずの「今年二〇一〇年の大会」が、中国に、そして上海に飲み込まれてしまった模様が語られるが、ここを短絡化し、中華思想の現代的表出への恐怖と読んではならない。むしろ、「ぼく」が消滅するひとつの未来として、心の原風景すらすでにシミュラクルと化してしまっている私たちの生それ自体が、すでにまったくの虚構となっている事実の、SF的な表現だと読まなければならないだろう。
     筆者は「太陽の帝国」が掲載されたものと同じ号の〈SFマガジン〉において、『都市のドラマトゥルギー』についての短評を介し、「「東京SF」にも変容の時が訪れようとしている」と書いたが、ここでの「変容」の兆しを「太陽の帝国」内の記述に読み込むことは、牽強付会に過ぎるだろうか。

     だが、バラードの『太陽の帝国』が型どおりの私小説とはまったく異なるように、「太陽の帝国」を書き手である樺山三英の私小説と読むことは、テクストの奸計にはまってしまうことを意味する(これはレトリックではなく、素朴な私小説的としての読みは、語られる「父」の在り方をはじめ、テクスト内の仕掛けによってことごとく裏切られることになる)。現に、「太陽の帝国」における「ぼく」が「樺山三英」であるとは、どこにも明記されていないではないか。
     つまり、この「ぼく」は、取り替え可能な、すべての「ぼく」と等価なのだ。

     だから、思い切って断言してしまおう。「太陽の帝国」は未来に向けて読まれるべきテクストだ。
     それゆえに、
    「それで、次は何をやるつもりなんです?」
     この問いかけは、私たち皆に投げかけられたものなのだ。
     いよいよ目前に迫った東京でのSF大会。そこで、私たちは「何をやるつもり」なのか?
    (岡和田晃)


    10.11.26追記:本稿はカーテンコールの挨拶文、他のカーテンコールの原稿とは独立して書かれたカーテンコール用の原稿です。
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