2009.11.21 Saturday
東京SF大全3 「スーパージェッター」――前向き少年の時代
(テレビアニメ、TBS、1965〜1966年)
あの頃すべては若かった。わたしたち日本人も。日本が突き動かし、日本が突き動かされた時代そのものも。そしてSF作家たちも。東京オリンピックから大阪万博にかけての、いわゆる「高度経済成長」時代の熱気のド真ん中で、新幹線ひかりは日本列島を突っ走った。
テレビの画面の中では、『スーパージェッター』の流星号と『マッハGOGOGO』のマッハ号が、爽快に駆け抜けた。「ひかり号」と「「流星号」と「マッハ号」に共通する流線型という美しいフォルムは、あの時代の子供たちの希望の象徴であった。「イタリア未来派」の美学にも似て、「速度の美」にわたしたちは酔いしれた。「流星号」はマッハ15のスピードで疾走する万能メカだった。「マッハ」という記号は、あの時代、一点の翳りもなく輝いていた。
『スーパージェッター』の主題歌のシニシズムを知らぬ明るさ。イントロのギターのストロークが前のめりの正義の無垢を励まし続ける。『マッハGOGOGO』の主題歌のイントロのドラムの息急き切って刻まれるリズムもまた、凄まじいもので、あのようなポジティヴさとは、もう二度と出会えないのではないかと思う。とにもかくにも、オリンピック直後の東京はおのが未来を確信し、めったやたらと明るいマーチのリズムに乗って、バリバリと時代の大通りを突き進んでいたのである。
東京オリンピックの三か月後(1965年1月)に放送が始まった『スーパージェッター』には、売れっ子になる前の若きSF作家たち(豊田有恒、筒井康隆ほか)が集結し、脚本を書いた。シニシズムに汚染されていないSF。ジェッターは、「正義の人」としての自分にいささかの疑念も感じてはいない。『スーパージェッター』の物語は、完全な善を体現する30世紀が愚かな20世紀を教育するという側面を持っている。ほんとは、小林信彦が東京オリンピックを憎むように、時代の翳も存在したのだが、「無垢な未来」を信じることで、シニシズムをうっちゃることが可能だった。シニシズムを知った意識が「無垢な過去」を捏造したのが『三丁目の夕日』である。(石和義之)