TOKON10実行委員会公式ブログ

第49回SF大会TOKON10実行委員会の公式ブログです。
開催日程:2010年8月7日(土)〜8日(日)
東京SF大全34『百億の昼と千億の夜』
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             (小説・光瀬龍・1967年)

     日本SFに巨大な足跡を残した光瀬龍は、1999年7月7日に亡くなった。代表作『百億の昼と千億の夜』は、歴代日本SFベストを問うアンケートで、常に上位を保ち続けている傑作である。
     今回のゲストは、光瀬龍氏の奥さま(飯塚千歳さま)にお願いし、次のようなコメントを戴いた。

     1999年7月7日、光瀬龍が旅立って、11年の歳月が過ぎ去った。
    今年は「東京SF大会」と言うことで、コメントをと、さて、私はSFのファンでもなし、全く素人なので、皆様の期待なさるような事は書けないと思うので、光瀬龍としてSF作家になる前の大学時代にどんな考え方をしていたのか、ちらりと、おみせしてみましょう。
     昭和31年、彼が文学部の哲学科の頃、私宛の手紙の中

    「実は僕は科学小説が大好きなのです。別にそれが論理的であるとか、科学的だとか、そんな事が好きなわけではなく、何十年も何百年も先の世界の事、しかも遙か遠い処の星の世界や、そこに棲む生物達のいとも奇妙な形や生活、時にはそれが恐ろしく高等や複雑であったり、又、人間の眼には見えない組み立て方になっていたり、読み終って茫然としてしまう程、不思議なんです。丁度、僕の眼の前に吾々が一生涯、いや、何世代かかっても到達出来ない程、遠い距離にある天体の風景、荒涼とした沙の平原と、ぼんやりと明るい空、その地表に、わずかに棲みついて、ゆらりゆらりと、動き回っている不思議な生物、そんな妖しい、しかし、画の様な風景が浮んで来るのですよ。読み終って僕は心底、其処え行ってみたいなー、と思うのです。そんな夢幻的な遙かな想いがしばし僕を、あの昔の探検家達の様に瞑想的に、亦、憂うつにさせるのです。(長いので後略)」

     もう一通の手紙は、大学の卒論の事

    「卒業論文をそろそろ組み立てています。題名は「大乗に於ける般若波羅密多」要するに「諸行無常とは何か」ということです。それで、上野の博物館に毎週通っています。(長い手紙の中の一部です)」

     彼の手紙には、芝居や映画を観た感想等、あと夢をみた話等、書いたものが沢山あります。詩やエッセイも当時色々書いてました。それは又、別の機会にでもお見せしましょう。
     (彼の手紙の原文は、すべて、カタカナです)
                             (飯塚千歳)


    (「JA1000」として、2010年4月に出たハヤカワ文庫新装版)
    (本文の引用の後に示した頁数は、この版のものである)

    (初出〈SFマガジン〉・1965年12月号〜1966年8月号 → 日本SFシリーズ(早川書房)・1967年1月 → ハヤカワ文庫・1973年4月 → 角川文庫・1980年10月 → ハヤカワ文庫新装版・1993年7月 → 角川文庫復刊改版・1996年12月 → ハヤカワ文庫新装版・2010年4月)



     紀元前5世紀、悉達多太子は阿修羅王と出会い、そして別れた。

    「太子。いつの日にか、また逢うこともあろう。波羅門僧どもがそろそろ心配しているであろう。行かれよ」
     太子はこの美しい少女に何かひとこと、別れの言葉をのべたいと思ったが、うまい言葉が見つからなかった。阿修羅王が言うようになぜか、遠いいつの日か、ふたたび相逢うことがあるような、それも必ずあるような気がした。(187頁)

     3905年に目覚めた彼はその予感どおり阿修羅王と出会う。その場所はTOKYO」(290頁)である。廃墟にそびえる塔の基盤には、その地名が彫りつけられていた。
     物語が過去から未来に転ずる場所は「TOKYO」でなくてはならない。
     執筆時、光瀬龍はそこにいたから。
     つまり、過去と未来との接点はそこにあったから。
     今、阿修羅王は「機会を待ってこの地にひそんで」(320頁)いる。……培養タンクの中で眠りにつきながら。
     イエスは培養タンクが再び使われることがないように破壊する。タンクのある場所は、海岸である。「もとは、ここは山だったのか、それとも島だったのか」(320頁)とのイエスのセリフは、萩尾望都のマンガ版では「山か、沖の小島に偽装されてたんだろう」(秋田文庫版・238頁)となっている。
     沖の小島? 地形やサイズの描写からして、これはものすごく犢哨療膈瓩辰櫃ぁ『ロン先生の虫眼鏡』にも江ノ島は出てくるし、『明日への追跡』などの舞台にもなっている。
     光瀬龍は七里ヶ浜に別荘を持っていた。彼にとっては特別な場所で、そこも「TOKYO」と認識されていたのだろう。
     江の島は「近代博物学発祥の地」である。1877(明治10)年、エドワード・S・モースがここに日本で最初の臨海実験所を設けた。光瀬龍は東京教育大学理学部動物学科と文学部哲学科を卒業している。東京教育大学と言えば、丘浅次郎が教鞭をとっていた大学(当時は「高等師範学校」)である。進化論の紹介者として名高い丘浅次郎はホヤの研究が専門だった。その息子の丘英通が、光瀬龍の卒論指導にあたっている。もしかしたら、青春の思い出にも深く結びついている土地なのかもしれない。
     光瀬龍にとって、魂の還る場所は常に海だ。
     『百億の昼と千億の夜』(新装版)のラストも、『喪われた都市の記録』のラストも、『ロン先生の虫眼鏡』のラストも、それを伺わせるものである。
     東京へ来たら、ちょっと足を延ばして江ノ島まで行ってみよう。光瀬龍の墓は、そこからほど近い山の中にある。
     彼が遺したものに思いをはせながら、江ノ島と向き合い「あの中に阿修羅王が…」と考える。
     足元に波が来る。
     おもわず、口をついて出る、あの冒頭部。
     あなたは気がつく。
     彼が還るべき海は、「寄せてはかえし/寄せてはかえし…」とつぶやくあなたの中にある。
                           (宮野由梨香)


    (七里ヶ浜における、ありし日の光瀬龍)

    【付記】
     『百億の昼と千億の夜』に関して、光瀬龍が次のように語ったことがあった。ちょうど萩尾望都によるマンガ化の連載が始まろうとしていた時期にである。

    光瀬 実は、あれ(『百億の昼と千億の夜』宮野註)は、自分自身の気持ちとしては前編なんですよ。あれで終りじゃない。
    石上 いずれ、お書きになるということですか。
    光瀬 と、思ってはいるんですが……。
    (〈奇想天外〉一九七七年八月号「対談 光瀬龍VS石上三登志」一三〇頁)
     

     この発言から二十二年後の一九九九年七月七日に、光瀬龍は「食道ガン」のため七十一歳でその生涯を閉じた。「いずれ書こうと思っている」という趣旨の発言があったにもかかわらず、彼は結局『百億の昼と千億の夜』の「後篇」を書かなかった。だから、残念ながら、我々はそれを読むことができない。……『百億の昼と千億の夜』の「後篇」に関しては、そのような把握が一般的なものであろう。
     だが、実はそうではないと、私は考えている。光瀬龍は生前に「後篇」を書き上げ、しかもそれを出版していた。『異本 西遊記』(ハルキ・ノベルス・(株)角川春樹事務所) が、それである。
     光瀬龍はそのつもりでこの作品を書き上げながらも、「これは『百億の昼と千億の夜』の「後篇」だ」とは言わなかった。「「阿修羅王」とは何か」ということが判っている読者には、この作品が『百億の昼と千億の夜』の「続編」であると明確に認めることができるからである。彼はそういう読者だけに向けて「続篇」を書いたのだ。
     『異本西遊記』は、王宮のバルコニーで自らの国と人民を憂える王の姿を描き出すことから始まる。

     弥勒王はこの頃憂鬱だった。
    (弥勒というと、読者はあの京都の太秦、広隆寺の国宝弥勒菩薩半跏像を思い出すかもしれないが、ここに登場する弥勒は、人相も人柄もあれよりずっといいかげんで、五日間も顔を洗わなかったり、三日に一ぺんは二日酔いで頭が持ち上らなかったり、そうかと思うと、大臣からの報告の書類をトイレでしゃがみながら読んでいて下へ落したり、まあ、そんな大王だった)
     弥勒王は自分の国が気に入っていたし、それ以上に、人民どもが好きだった。
     弥勒王は都のにぎわいに耳を傾けた。
     だが、弥勒王はこの頃憂鬱だった。
                     (『異本 西遊記』九頁)


     主人公の「蘭花」をサマルカンドへ遣いに出す王の名前は「弥勒」 なのである。
     どうして王にこんな名前をつけたのだろうか? 
     「西遊記」にも、そのもととなった「大唐西域記」にも、このような名前の王は登場しない。この作品のために、わざわざ名付けたのだ。しかも、( )内の記述によって、読者に「広隆寺の国宝弥勒菩薩半跏像」を思い出させようとしている。そして、その上で「人相も人柄もあれよりずっといいかげん」と、その落差を強調する。
     ここで「弥勒」という文字を目にして『百億の昼と千億の夜』を思い出す読者は少なくないだろう。だが、描き出されるイメージの違いに、『百億の昼と千億の夜』と『異本西遊記』を結びつけて考えようとすることをやめてしまう。
     しかし、それこそが「光瀬龍」の施した「罠」であり「謎掛け」なのである。
     そのうちに、また( )がでてくる。沙悟浄が蘭花に言うセリフの後だ。

    「大王さま。かわいそう。何千年待ったって、百科事典、手に入らないかもしれないわよ。でも、あの人、待つの馴れているから」
    (読者はここでもう一度、あの京都の太秦広隆寺の国宝弥勒菩薩半跏像を思い出してください。軽くほほづえを突いてもの想いに沈んでいる比類ない優美な姿は、あれは実は考えているのではなくて、待っているのだ。何を待っているのかというと、五十六億七千万年ののちにやって来るというこの世の終りだ。その時、ようやく待ちに待った彼の出番が回ってくる。彼の仕事は救済(レスキュー)である。宇宙の始まり、つまりビック・バンが四十七億年前だったとすると、弥勒王はあと九億年余も待たなければならない。御苦労さまとしか言いようがない)
                        (『異本 西遊記』二十七頁)


    「罠」にはまって、最初の部分をうっかり読み過ごしてしまった読者も、さすがにここに来て気づくことになる。
     どうやら「弥勒」というのは、単なる思い付きでつけられた「王の名前」ではないらしい。光瀬龍は何らかの意図をもって王の名を「弥勒」にし、しつこく( )内の説明を加えることで、我々に『百億の昼と千億の夜』を想起させようとしているようだ。
     その証拠に、「弥勒王国の都」は「兜率天」である。(十四頁)
     また、すぐに「梵天王」が登場する(三十七頁)。
     「オリハルコン」も出て来る(八〇頁)。悟空が持つ「如意棒」の材質が「オリハルコン」なのだ。そして、ここでも、失われた大陸アトランティスに関する長めの説明がつく。
     そして、「阿修羅王」が登場する(一〇八頁)。
     阿修羅王が悟空と出会い、求めに応じて一行の危機を救うのである。
     だが、その阿修羅王の相(すがた)は三面六臂の興福寺の「阿修羅像」そのままで、しかも「物識り仙人」と紹介されている。
    「これは『百億の昼と千億の夜』の「関連作品」 なんだろうか? それにしては、思い出させては、そのイメージを否定することを繰り返している。自作パロディの、単なる「お遊び」なんだろうか?」と思いながら、読者は『異本 西遊記』を読み進む。
     そして、こう感じている自分に気がつく。
     「この本を読んでいると、何だか過去に読んだ光瀬作品がやたらと頭に甦ってくるような気がするなぁ。なぜだろう? 本文の向こう側から、いろいろな光瀬作品が立ち上がってくるみたいだ」
     最初は、「同じ作者であることから来る必然」あるいは「これもお遊びか」と読み過ごしている。しかし、文体の統一性やストーリーの流れを乱してまで、過去の「光瀬作品」を読者に思い出させようとしているのではないかという「疑惑」が、読むほどに「確信」に変わっていく。
     どうやら、光瀬龍は、『異本西遊記』の中に、自らの作品中の「登場人物」や「地名」や「概念」や「文体」や「情景」や「語句」や「要素」を意図的にに入れ込んでいるようなのだ。しかも、入れ込みつつ「外して」いる。その最大のものとして、『百億の昼と千億の夜』があるらしい。
    「どうしてこんなことをしているのだろうか」と頭の隅で考えながら読み進むうちに、この作品の「奇妙さ」がそれだけではないことがわかってくる。
     基本的に、軽い調子の読みやすい文体である。なのに、読むと異常にエネルギーを消耗するのだ。向かい風の中を歩いているような抵抗感がある。それなのに、それをもたらしているものが何であるかが判然としない。息苦しくなるような切迫感を伴った、異様な「清冽さ」と「禍々(まがまが)しさ」のアマルガム……としか言いようのないものが、文章の奥から吹き上げてくる。
    いったいこれは何なのだろうか?

     この作品が書かれた時の作者の状況を確認しておこう。
     光瀬龍の死因の「ガン」について、眉村卓は次のように書いている。

     一九九七年十二月、某社の年末の会食で、ぼくは光瀬さんと隣り合わせになった。
     あれこれと話をするうちに、ぼくは、六月に妻が末期のガンと判明したことや、それ以来の日々について喋ってしまったのだ。
     すると光瀬さんは、自分も三年前からガンなのだと語り、健康食品の名前などを挙げていろいろ教示してくれたのである。
              (〈SFマガジン〉一九九九年十一月号 二二四頁)


     一九九七年の三年前というと、一九九四年である。
     死を迎える五年前に「ガン」と判明していたということになる。
     となれば、一九九七年一月に連載を開始した『異本西遊記』を自らの最後の作品として光瀬龍が意識していた可能性は、かなり高いのではないだろうか。
     「評伝 光瀬龍が見た空」(立川ゆかり)の中に、『異本西遊記』の執筆の状況に関する記述がある。

     光瀬に病魔が忍び寄ったのは一九九五年頃のことだった。光瀬は不治の病に倒れてしまう。最初の入院は一ヵ月ほどで済んだものの、手術は体に大きなダメージを与えた。
    (〈北の文学〉第53号 立川ゆかり 「評伝 光瀬龍が見た空」一七九頁)


     この「体に大きなダメージを与えた」手術とは一九九六年五月に行なわれたものであったらしい。

    「赤旗」の日曜版に「異本西遊記」を掲載していたころも入院中であった。しかし、入院生活の間も執筆の手を休むことはなかった。病院の応接間に、原稿用紙とペンを持ち込んで執筆を続けたという。 
    (〈北の文学〉第53号 立川ゆかり 「評伝 光瀬龍が見た空」一七九頁)


     なかなかすさまじい執筆状況である。
    『異本西遊記』は自らを「ガン」と知る作家が、入院中も病室で書き続けた作品なのである。
    その作品に、特別に何らかの「意味」がこめられていた、ないしは、こもってしまったとしても不思議ではない。いや、むしろ、その可能性が高いと考えて然るべきではないだろうか。
           
     『異本西遊記』の本文の向こう側から立ち上がってくる「光瀬作品」には、例えば次のようなものがある。
     梵天王の城は「アヨドーヤ」にある(三七頁)。これは『宇宙叙事詩』等にでてくる地名である 。『宇宙叙事詩』所収の「アヨドーヤ物語」には「北から来た吟遊詩人、サダ・ナブリン・カカ」 が登場するが、『異本 西遊記』において蘭花にプロポーズしたサマルカンドの王の名前は「サダ・ナブリンカカ」である。八七頁「たそがれの楼蘭」の章題も、そのまま『宇宙叙事詩』中に同じ章題がある。この章の冒頭の風景描写は『東キャナル文書』の中の「火星人(マーシャン)の(・)道(ロード)」の冒頭が踏まえられている。たそがれの描写はそのまま『たそがれに還る』も想起させる構造になっている。小説作品だけではない。六〇頁の戦後の逸話は『闇市の蜃気楼』を、一一六頁からの「ツングースカ隕石」に関する記述 からは『失われた文明の記憶』といったノンフィクション的作品を連想させる。沙悟浄と兄をめぐるいきさつは『平家物語』っぽい。二十頁に「香炉峰の雪」が「すだれを巻き上げる」に関連して唐突に出て来るところは、光瀬龍が原作を書いたマンガ『枕草子』を思い起こさせる。
    「セクハラがらみの酒の無理強い」(一九五頁)は、『征東都督府』で、勝海舟が樋口一葉にしてみせたことである。『征東都督府』といえば、沙悟浄は蘭花を「お姉さん」と呼んで慕うが、この二人の関係は、「かもめ」と「笙子」の関係に似ている。また、弥勒王が蘭花たち一行を見送りながら思い浮かべた詩句 は、そのまま『征東都督府』において土方歳三が勝海舟との勝負に赴く際に耳にしたものだ。
     そもそも、与えられた目的のために、遠く旅立つという設定は、『年代記シリーズ』等で繰り返し描かれてきた ものである。
     若く美しい女性が仲間を獲得して旅に出るというパターンは『宇宙航路』を思わせる。
     文体など、全体のトーンは「ジュヴナイル」である。
     こういった過去の光瀬作品の入れ込みが「ストーリーの流れ」を乱してまでなされていることが、よくわかる例をひとつ、示しておこう。
     『異本西遊記』の中に、河童と田(タ)鼈(ガメ)の戦争場面がある。
    そこで、いきなり次のような説明が始まる。

     年配の読者はタガメという虫はよく御存知だと思う。―中略―体長は時に七センチメートルに達し、全身茶褐色で、前肢はハサミのようになっていて鋭い爪がある。―中略―セミやヨコバイ、カメムシなどのなかまで、口がするどくとがった管になっていて、これで魚やカエルの体液を吸う。ねらわれたキンギョもドジョウも、逃げることは不可能だった。
                         (『異本西遊記』一八七頁)


     こうして、約一頁を費やしてタガメに関する生物学的説明が続く。
     我々は思い出す。『ロン先生の虫眼鏡』の中に次のような箇所があったことを。

     タガメというのはご存知の方もいようが体長七センチに近い大形の水棲昆虫だ。半翅目というグループに属し、セミやウンカ、カメムシなどと類縁の種類だが、この半翅目に共通する特長は口器がするどい吻になっていて(セミの口を思い出してください)それを植物や動物の体に突き刺して栄養を吸収するのだ。
            (『ロン先生の虫眼鏡』(早川書房単行本版)一七七頁)


     『ロン先生の虫眼鏡』を連想させる箇所は一四六頁にもある。「ケラ」についての説明である。二一八頁では「ヒルムシロ」という植物について、物語の本筋とは無関係の筆者の少年時代のエピソードが語られている。
     これらは、どう考えてみても、作者が意図的に過去の自分の作品を読者に想起させることを目指して仕組んだことであろう。
    『異本西遊記』は、「なんらかの形で過去の光瀬作品のすべてに言及しており、構造的には解体しつつ構築するという、文字どおり脱構築的手法で書かれた自己言及作品」 だったのだ。
     かつ、このような箇所もある。伽羅於慶(カラオケ)に誘われた沙悟浄が、猪八戒に言うのだ。

    「いいけどさ。八戒がいつもうなっている、猜未譴討盞いな人瓩箸猝燭笋蕕覆き瓩箸、あんなのいやだよ。わたい、おやじギャルじゃないんだからね」
    (『異本西遊記』一六五頁)


    「プリクラ」も二六三頁にでてくる。
     光瀬龍は、流行語を作品中にあまり書き入れないタイプの書き手だった。「流行(はやり)ものはすたりもの」ということを承知していたからであろう。その彼がわざわざこのように書いたということに、作中に「自分の作品」だけではなく「自分が活躍した時代」を封印しておこうとする意図を感じ取ることができる。
    『 異本西遊記』が発表時あまり高く評価されなかったのは、このあたりの真意を読み取ることのできる読者が少なく、「巨匠の筆のすさび」として受け止められてしまったからでもあるのだろう。
     また、『異本西遊記』中に「掘‥譴傍△襦廚箸い章題があるが、これは小学生の頃に光瀬が愛読したという小説の題名 をそのまま使用している。自らの原点をこのような形で示しているのだ。「文学的原点」という意味では、宮澤賢治や井上靖の要素も入っている。
     さて、以上に述べたことから、私は次のような結論にたどりついた。
    「『異本西遊記』は『百億の昼と千億の夜』の「後篇」である」と。
    『百億の昼と千億の夜』は、作家「光瀬龍」の誕生の軌跡を封印した「私小説」としての側面を持ち、本人もそれについて非常に自覚的であった。(拙稿「阿修羅王は、なぜ少女か……光瀬龍『百億の昼と千億の夜』の構造」(〈SFマガジン〉二〇〇八年五月号所収)参照。)その『百億の昼と千億の夜』が「前篇」なら、「後篇」の内容は「光瀬龍」の作家としての活動について語った「私小説」になるのではないか? 
     また、光瀬龍は、自らの死が間近いことを知っていた。
     死期が迫った時、「作家」である人間が考えることは何だろう? プロの小説家として活躍を続けた「光瀬龍」である。自らの肉体の「死」が、決して作家の「死」ではなく、まして作品の「死」ではないと信じたかったのではないか。 
     また、『百億の昼と千億の夜』で描かれた「敵」は「シ」と呼ばれる存在であった。『異本 西遊記』は、作家自身に刻々と迫り来る「シ」と対峙しながら書かれたものなのだ。
     その意味でも、この作品は『百億の昼と千億の夜』の「後篇」なのである。
     『異本 西遊記』は、現在、絶版となっている、
     この作品の意義が正しく評価される日が来ることを、宮野は、今、心から望んでやまない。

    【付記の付記】
     この「付記」は拙論『「阿修羅王」とは何か』(400字×130枚・未発表)の一部抜粋です。まとまりが悪くて申し訳ありません。この部分だけでは、説得力がないかとも思いますが、あまりにも不遇な『異本西遊記』にご興味を持っていただくきっかけにでもなればと存じまして、あえて載せました。

                            (宮野由梨香)


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    東京SF大全33『日本沈没』
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       小松左京『日本沈没』(1973年 光文社カッパ・ノベルス 後に小学館文庫)

       小松左京で東京SFと言えば『首都消失』を真っ先にあげなければいけないが、『日本沈没』もなかなかに東京SFしている。『日本沈没』は冒頭から、東京駅の駅舎に皹が入っているのを発見して始まるし、「東京」という章まで存在している。この『日本沈没』を「東京SF」として見る事で、小松左京の抱いた「東京観」と、小松左京自身について、立体的に浮かび上がるのではないかと考えている。
       『日本沈没』をエンターテイメントとして読んだ場合、圧倒的に浮いている箇所がある。第五章、9の最後に、物語の主要人物ではない名前もない人物の内面の叫びが、ほとんど唐突とも言える形で入り込んでいる。その初老の老人の叫びは、それが「物語」の筋とは関係ないが、関係ないが故に、作品全体の主調低音を浮き彫りにさせる。
       日本は沈みかけて非常事態であり、東京都は関東大震災や第二次世界大戦の空襲後を思わせる状況である。初老の老人は、配給制度が復活したことを受けて妻と会話する。妻は、終戦後の焼け跡のことを語る。そして男には恐怖がフラッシュバックする。「食べること」しか考えなかった日々の記憶――飢えと、飢えに叫ぶ子供の声――そのような悪夢から逃れるために、男は必死に働いた。長くなるが、本文を引用する。

      「せっかく苦労に苦労を重ね、辛抱を続け、「やりたかったこと」もすべて犠牲にして、安酒に執着をまぎらわしながら、汗水たらして会社づとめを続け……若かった妻と、六畳一間のアパートから出発し、待ち続けて公団2DKへ……子供たちが生まれ、育ち、学校へ行き、借家へ、そしてやっと元金をためて、身を切られるような思いで高い土地を買い(中略)この生活を築き上げるために、三十年近く重ねてきた、思い出すだけで脂汗のにじむ苦労、犠牲にしなければならなかった青春期の夢や希望、否、青春のたのしみそのものを、暮夜、ふと思い出すと、どうにもたえかねて、一人冷たい酒で、そのぎちぎち音をたてるほどこりかたまった疲労とつらい想い出をまぎらし、ときほぐすほかなかった。生意気ざかりの子供に、その贅沢な物の使い方を説教し、ついでについ「戦争中は……」といいかけると、「関係ない」などと軽蔑したようにいわれて、カッとなって全身の筋肉が強張るのを無理におさえて、強張った笑いを浮かべ、殴り飛ばすのを我慢したために、いっそうみじめな、卑屈な気分になって、それをときほぐすために酒を飲み――」

       この、戦中世代の、飢えや廃墟の記憶と、それから必死に働いたことと、必死に働いて築いた平和や豊かさを無自覚に享受している若い世代への怒りというのは、かなり広範に理解されうる感情なのではないかと思われる。日本はその進歩・発展があまりにも急速だったので顕著なのだが、社会が豊かで良くなって行くときに、自分より下の世代や子供たちに抱いてしまう「嫉妬」や「怒り」という普遍的な感情がここには描かれている。
       その嫉妬や怒り、豊かさへの違和感というものは、「東京」の章で、主人公の「感じ方」のまで影響を及ぼしている。主人公の深海潜水艇の操縦者である小野寺は、銀座のバーの華やかな空間や、有閑階級の若者のパーティの中で、違和感を抱きながら、場にうちとけることができない。煌びやかな高層ビルを見ながら、小野寺はこのような感慨を抱く。

      「この街は、上へ上へとのびている。――地上を行く人々は、しだいに日もささない谷底や地下に取り残され、じめじめした物かげで、何かがくさってゆく。――古いもの、取り残されたもの、押し流されてたまってゆくもの、捨てられたもの、落ち込んで二度と這い上がれないもの……なま暖かい腐敗熱と、悪臭のガスを発散しながら、静かに無機質への崩壊過程をたどりつつあるものの上にはえる、青白い、奇形のいのち……」

       この文章は両義的であると同時に、この作品の「日本を沈没させる衝動」を見事に表している。都市の煌びやかな進歩の陰で、古いものや取り残されたものがたまっていく。それは、このシーンの前後が銀座の煌びやかな描写であることから、因習的な日本的なものや、先ほどの老人の抱いているような「廃墟」からの恨みの心情と対応しているだろう。そのような敗戦によるルサンチマンとは無縁の、戯れる人々を、違和感を持って主人公は眺めている。そしてこの引用の後半、「なま暖かい腐敗熱と、悪臭のガス」というのは、文字通り地下のマグマのことであると同時に、「進歩」によって忘れ去られたある精神的なものを示していないだろうか。この文章では、明らかにその両者が重なるように描かれている。不必要なまでに描かれる銀座や、別荘でのパーティのシーンは、そのような「焼跡」を忘れた日本に対する「忘れ去られた」ものの怒りや嫉妬が、日本を沈めるのだという解釈に誘う。
       最初に引用した老人の、作品のエンターテイメント作品としてのバランスを欠いた独白にはまだ続きがある。

      「でもいいのだ。あのつらさ、あの苦しさ、人の心が一筋の芋をめぐって豺狼のごとくいがみあうあの地獄を味わわさないために、自分が――自分たちの世代が、多くのものを犠牲にし、苦しいことを我慢し続けてきたのは、結局よかったのだ。子供たちに、あの地獄が、まるで想像できなければ、理解もできないのは、おれたちががんばってきた「成果」なのだ。おれの子供は、絶対にあんな目にあわせたくない、と思い続けたことが、今、達成されたではないか」

       そう思って、憂さを晴らすために軍歌を歌えば、若手の「かっこいい」サラリーマンに軽蔑の目で見られると書いてある。ここにある葛藤は極めて重要である。下の世代のために自分を犠牲にして働いて社会を豊かにしたのに、それを享受して感謝しない子供たち。それどころか、馬鹿にする若い世代。それらに対する怒りは当然であろう。しかし、そもそも彼がそんな風に自分を犠牲にして働かなければいけなかった理由は、戦争と敗戦による「飢え」の経験である。敗戦と廃墟というトラウマが、彼を駆動させたのだ。そしてそのトラウマを共有しない若い世代が、そのような反復強迫的な、進歩や労働への意識を持たないのは当然であろう。かくしてトラウマを負った世代の、そこから自由な世代への怒りと嫉妬は、「彼らにもトラウマを負わせる」という形になる。それが、日本が沈没するということである。焼跡を忘れ、感謝をしない、豊かさを享受している連中に、その足元が崩れて、「焼跡」的状況をトラウマとして打ち込むこと。そのような欲動が、この作品を駆動させている。
       だがもちろん、トラウマを受けたことに対して、トラウマを与え返すことは、虐待の連鎖や、いじめられていたものがいじめる側に回るという、悪循環しか生まない。確かに、戦中世代への若者の敬意のなさや、遊戯的に楽をして生きている(ように見える)彼らに対して、焼跡的なものを突きつけることは、多いに意味のあることだろう。しかし、これではトラウマの連鎖と再生産にしかならないのではないだろうか――その自覚は、先の老人の発言に当然含まれている。しかし、そう分かってもなお、溢れる怒りのどうしようもなさが、この発言には見受けられる。
       2010年5月6日に『東洋経済オンライン』に掲載されたインタビューの発言も、その上に理解するべきであろう。(http://www.toyokeizai.net/life/column/detail/AC/19f72c857f49de4f74355591ecbd730a/)

      「今の日本の若い人には、もっと生々しい歴史を学んでほしいと思っています。
       僕は小・中学生のときに戦争を経験しました。いちばん怖かったのは、食べるものがないという飢餓体験です。終戦になった中学3年生の食べ盛りのころは、1日わずか5勺(90ミリリットル)の外米と、虫食い大豆や虫食いトウモロコシ、ドングリの粉ぐらいしか食べられませんでした。消化の悪い炒り豆を食べては水を飲んだので、しょっちゅう腹を下し、毎日フラフラでした。
       そんな飢餓体験が、僕の処女長編小説『日本アパッチ族』の基になっています。「アパッチ族」と呼ばれるくず鉄泥棒が、鉄を食う「食鉄族」となって、鉄でできている物を片端から食いまくり、日本人の生活を脅かしていくという荒唐無稽なストーリーです。
       執筆当時、極貧生活で、唯一の娯楽だったラジオさえも質に入れなければならなかった妻を喜ばせるために、夢中で書いたものです。
       日本は幸か不幸か地震の多い国です。1995年1月には、阪神大震災で6000人を超える人が亡くなりました。若い人はこうしたつらくとも生々しい歴史から学ぶという訓練を、自ら進んでやってみてほしい。」

       この意見には、戦争経験という「悲劇」を宿命として背負った作家の発言として賛同する部分があるのだが、危険な部分もあるように思う。「いまの日本がユートピア」であり、例えば若者やフリーターは甘えているという言説と、この心情は親和性が高そうに思うからだ。それは心情である以上、現実や論理の問題ではなく、人々に抱かれてしまう。さらに、『日本沈没』では、日本のために、長時間労働し、日本人救出のために命を落とす者たちが肯定的に描かれているが、これは一歩間違えば、ナショナリズムを利用して過労死させるまで人を使い捨てにしている現代のブラック企業を肯定するロジックとして使われかねない。というよりは、小松が崇高で美しいものとして描いた自己犠牲の理念が、ブラック企業などに悪用されているのではないだろうか。小松は「日本人」のために、自己犠牲的に労働する人々を描いたが、現在は労働は「日本人」のためという枠を超えて、グローバル資本主義やグローバル経済のネットワークの中で自己犠牲的労働が必要とされている。
       確かに、「ブラック企業」だとか「労働基準法」であるとか、あるいは「鬱病」という名称やカテゴリを作って行く事自体が「甘え」だという指摘も頷けなくはない。昔はそんなものは気にしないで働いたんだ、社会のために、発展のために、と言われれば、それはそうなのだろうと思う。しかし、心理的、精神的に社会がよくなっていくことを願うのならば、下の世代に、自分たちが経験した「辛さ」を経験させることが、良いことなのかどうか。トラウマを与え続ける連鎖よりも、尊敬と愛情を勝ち取るようなコミュニケーションこそが重要なのではないかと思われる。若い人間も、高度成長に尽力した世代に人たちを馬鹿にしたり嘲笑ってはいけない。理解し、敬意と感謝を抱くべきだ。そうして初めて、トラウマの連鎖でも嫉妬でもない世代間の交流の可能性が生まれるだろう。
       『日本沈没』は、「進歩」の影に潜む世代間の「不調和」を描いている。その不調和のマグマ的エネルギーが日本を沈めていくというこの物語から、学ぶべきところはたくさんある。1970年に「人類の進歩と調和」を謳った大阪万博が開催され、そこに小松もテーマ館サブ・プロデューサーとして参加していたことと、この作品が1964年〜1973年にかけて書かれていたことからも、示唆を受けるべき事柄は大量にある。今尚学ぶべきところが多くある名作である。

                              (藤田直哉)
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      東京SF大全32「宇宙船ビーグル号の冒険」
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         「東京」は、「東洋のガラパゴス」と呼ばれる地域(小笠原諸島)をも、同じ行政区分としてかかえる土地である。
         ダーウィンがガラパゴス諸島を訪れた船と同じ名を持つ宇宙船の物語…それは現在の狹豕瓩里かえる問題とつながっている。
         それについて、ゲストの木立嶺氏に論じて戴いた。


         

        (小説、A・E・ヴァン・ヴォーグト、1950年


        文明の冬期――ケント局面を迎えた
                 宇宙船ビーグル号と東京



        「民主制は、時としてそう呼ばれるように、これまでは世論の民主制であったのが、いまや操作の民主制となってしまったからなのである。――(中略)――操作の民主制の大きな弱点とは、有権者団の管理に関することには非常に巧妙であるが、対外政策では根本的に無能力な指導者を選んでしまうという点にほかならない。」(エマニュエル・トッド著「デモクラシー以後」(P288〜289))

         
        「宇宙船ビーグル号の冒険」は、人類の建造した最大の宇宙探検船ビーグル号を舞台に、主人公の若き総合科学者エリオット・グローヴナーを始め、ビーグル号に搭乗する千名の科学者と軍人達が、銀河宇宙の様々な場所で遭遇する異星人の、それぞれ異なる攻撃に立ち向かう様を、船内の対立を絡めて展開していくストーリーである。
         原作は1939年と43年の二回に分けて発表され、長編としてまとまったのが1950年である。初稿から今年で実に七十一年が経過している古典SFである。
         作品構成は4部に分かれ、それぞれ滅亡した文明の遺産である実験動物のケアル、テレパシーの挨拶ひとつでビーグル号を混乱に陥れるリーム人、不老不死で寄生繁殖する緋色の完全生物イクストル、そしてM33銀河系全体を覆い、食糧を得るために何万という文明を壊滅させてきた超巨大ガス生命体アヌビスなど、実に個性豊かな面々が、ビーグル号の面々を相手に大活躍をする。
         また、舞台となるビーグル号の詳細な設定――船体形状は球形、床総面積二平方マイル、デッキ数三十、反加速度動力機関搭載、超光速航行可能、難攻不落の防御スクリーンを装備し、船内でも使用可能な原子放射線砲を四十一門搭載――も、十分に読み応えのあるものである。
         ところで、現代の東京とはるか未来の宇宙船の間には、どのような関係があるのだろうか。実は両者には、共通の特徴が存在する。一方の東京は言わずと知れた、高度の頭脳と科学技術の集積する世界的な大都市であり――作中に登場する周期学説という学問では「魂を失った」という形容が付く――他方のビーグル号は、同様に高度の頭脳と科学技術で武装し、東京と同様に「冬期」を迎えた銀河系文明の産物である。従って、ビーグル号船内で生じる問題は、東京が代表する現代文明の問題と見做して差し支えないのである。
         そこで、今回は本作を取り上げ、作中人物達の成功と失敗を考察することで、東京=現代文明が今後直面するであろう問題群にアプローチする際の手掛かりを探ってみたい。


          ■ 銀河系文明に現れた、破壊的要素の化身 ■
         
         東京を繰り返しゴジラが襲ったように、ビーグル号には種々様々な異星人が襲い来る。しかし、それらに立ち向かう人々の中に、常に船を危機に陥れてきた人物が存在する。
         主人公グローヴナーの敵、化学部長グレゴリー・ケント――彼こそは、冬期に差しかかった文明が直面する危険の、もっとも具体的な一例である。

        「――(略)――あの男には、好ききらいがある。すぐのぼせ上がるし、腹も立てる。失敗もやらかす、だが知らんふりする。総監督になりたくてなりたくてしかたがない。地球に帰ったとき、脚光を浴びるのは、最高責任者にきまっているというわけさ。――(中略)――あの男は――何というか――人間臭いんだよ」 
                (地質学部長マッカンのケント評(P260))

         部長としてビーグル号の化学部を率いるケントは、徹頭徹尾、政治的人間である。本作が基本的に宇宙船内の物語ということもあり、騒々しくも寒々しいケントの内面、あるいは性格の背景は一切描写されていない。せいぜい、上記に挙げたマッカンの表面的なケント評が存在するのみである。
         また、ビーグル号の組織構成は、船長のリース大佐を筆頭に軍人が運用部門を占めており、科学部門については総監督のもと、各部門の長を中心とする合議制を以て八百名に及ぶ科学者を統率する、民主主義体制が採用されている。
         以上の点を踏まえた上で、各編中のケントの行動を大ざっぱに見て行くと、以下のようになる。

        《ケアル編》
         ケントは助手をケアルに殺害されて逆上し、総監督モートンの命令を無視してケアルを射殺しようと図るが、不首尾に終わる。グローヴナーに対しては、格下と見做してそっけなく応対する。
        《リーム人編》
         次期総監督選挙が迫る中、現監督モートンの対抗馬として立候補していたケントは、自分を批判したグローヴナーに立腹し、部下を動員して総合科学部を接収する。
         その最中にリーム人の襲撃が発生し、混乱したケントは、化学部を率いてモートンやリース大佐ら船の指導部と争い、その結果負傷して入院し、選挙に出馬できず、総合科学部からも撤退する。その代わり、総監督代理に任命されたことで、限定的な政治的勝利を得る。
        《イクストル編》
         ケントは病室で出番なし。しかし、総監督のモートンが負傷して職務遂行不能に陥ったため、代理である彼が自動的に船の実権を握るという、最大の政治的勝利を得る。
        《アヌビス編》
         ケントはグローヴナーの排除にかかるが、ついに本気を出したグローヴナーと総合科学の技術力の前には、文字通り手も足も出ず、ついにその力を認めて改心する。

         以上を普通に読んでいけば、これはケントの敗北、すなわちハッピーエンドと解釈できる。しかし、本作を読み込んでいくと、ひとつの疑問が浮かび上がってくる。すなわち、グローヴナーはケントに対し、本当に最終的な勝利を収めたのだろうかという疑問である。


          ■ 浮かび上がる恒常的パターン ■

         本作には、総合科学に対する一種のアンチテーゼとして、考古学者苅田の専門である周期学説が登場する。これは文明の盛衰を扱う学問で、グローヴナーは「歴史的に問題に対処し、しかも特定の事態に適用できる実際技術」(P178)として高く評価している。
         一方、苅田本人は自分の専門について、冷静な見方を崩すことはない。

        「一般論から、個々の問題を解決しようということの困難性は、あなたにも十分おわかりだと思います。わたしのほうの周期学説は、事実上、この一般論でしかないのでね」(グローヴナーに対する苅田の返答(P107))

         そこでまず想起される疑問は、総合科学が一般論的な危険性をはらんでいる可能性はないのだろうか、という点である。
         この点を踏まえた上で、グローヴナーとケントの関わりを順に追っていくと、あるパターンが浮かび上がってくる。
         グローヴナーとケントの対立は、グローヴナーががケント支持者の前でケントを批判した時から本格的に始まっている。
         この翌日、総合科学部の部室は、ケント率いる化学部に占拠されてしまうのである。
        これは、歴史の浅い学問である総合科学には権威がなく、構成員がグローヴナーという三十一歳の若造ただ一人しかおらず、他の部との連携もないという、非常にスケープゴートにし易い相手であること、また、これを攻撃することによって、支持者の結束を高めると同時に、中立派や反ケント派に対するデモンストレーションを狙っていることは、容易に察せられる。
         ところが、グローヴナーはこうしたケントの計算を見抜くことができなかった。

        「自分は当然モートンに抗議する――これは向こうも予期しているらしい。どうやら、彼の抗議を逆に利用し、選挙に役立てようという腹らしいが、なぜ選挙運動に得になるのかさっぱりわからない。」(P95)

         この後、グローヴナーはリーム人事件の後始末の際に、重大なミスを犯している。ケントを総監督代理にするよう、総監督のモートンに進言したことだ。これは受け入れられたのだが、船内の融和を図る意味はあったものの、同時にケントを己の野望に近づける危険性を孕んでいた。
         しかもグローヴナーは、手遅れになるまでこのミスに気づかなかった。彼は対イクストル戦において、原子放射線砲を使った作戦を考案したのだが、この時、囮役の一人としてモートンが参加している。そして作戦が失敗してモートンが負傷し、総監督を退任したため、ケントが名実ともに船の実権を握るという最悪の結果を招いてしまったのである。
         計画立案の際、モートンがケントの野望を阻止する上でかけがえのない人物であることを、グローヴナーが考慮した形跡はない。
         さらに、アヌビスによって怪獣がビーグル号司令室に送り込まれた際、ケントは混乱の中でグローヴナーの頭部を狙って震動波銃を――出力全開で――発射するのだが、この時もグローヴナーは、相手の心理を把握し損ねている。

        「ケントにしてみれば、自分が臆病風に吹かれて逃げ出したから、殺してもかまわぬなどと思い込んでいるらしい。」(P249)

         グローヴナーを射殺しても申し開きができる状況を、ケントが常々待ち望んでいた可能性があることを、彼はまったく考慮しなかったのである。
         総監督代理の心理を過小評価しているために、グローヴナーは次のような失敗もしている。

        「ケントは、グローヴナーが考えていたよりは、ずっと頭に来ていたようである。腕で顔をかばうところだったが、もう手遅れだった。
        『つけ上がるな、この野郎!』大きな声を立てたかと思うと、ケントは平手で彼の頬をなぐりつけた。」(P275)

         このように見て行くと、グローヴナーは一度や二度ではなく、恒常的にケントの心理を把握し損ねている様子が伺える。一体この原因はどこにあるのだろうか。
         イクストルの侵入を受けた際、苅田は周期学説の観点から、この異星人が大都市期の産物と仮定した場合について述べている。

        「事実上対抗しがたい知能の持ち主といえるでしょう。全然手のほどこしようはないといってもよい。自分のペースで事を運ばせたら、しくじりなどということは絶対にやりますまい。負かすことができるとすれば、それは何か彼の手の下しかねるような事態があったときだけです。まあ、一番よい例が――(中略)――われわれ自身の時代の、高度に訓練された人間がそうでしょう」(P178)

         グローヴナーは総合科学者という、まさに高度の科学訓練を受けた大都市期の人間である。したがって、苅田の論理に従えば、ケントの心理を把握できないという彼の欠点は、個人的なミスによるものとは考えにくい。それよりは、総合科学に内在する欠点――人間を統計的存在と見做すがゆえに、特異な個性を扱う際には有効に機能しない――を暗示している可能性が高い。
         何といっても、グローヴナーは、ケントという存在をあるがままにしか見ていない。リーム人襲撃の直前、グローヴナーは苅田に相談を持ちかけているが、それはケントに対抗する際、自分の行動にミスはないかを確認するためのものであり、ケントの動機の背後を探るためではない。グローヴナーは彼を一人の個人ではなく、冬期文明における人間の悪しき類型としてのみ見ているのである。

        「われわれ現在の文明がもつ、破壊的要素の化身、それがケントなのさ」
              (グローヴナーの発言(P88))

         つまり彼は、一般論的な観点からケントを捉えているのである。


          ■ 制度的欠陥の補償機能としての総合科学 ■

         すでに言及したように、ビーグル号には、科学者の代表である総監督を選挙によって選出する制度が存在する。この選挙制は、探検船の帰還率を向上させる試みの一環である。

        「過去二百年のあいだに出発していった宇宙探検隊のなかで、実に五割までが未帰還に終わっているのだ。どうして帰って来なかったのか、その理由は帰って来た船に起こったことから判断する以外にない。隊員間の不和、激しい論争、隊の目的に関する意見の対立、少数派の乱立―判で押したようにこれである。」(P84〜85)

         上記の要因を緩和するという導入目的、また、グローヴナーの「民主主義に忠実なら、当然比例代表制でしかるべきだからな」(P89)という発言から考えて、ビーグル号の選挙制度は、小選挙区制のバリエーションを採用していると推測される。この制度は一般に、多数派で構成された政権が強力な実行力を備える一方、多様な少数意見が反映されにくいとされている。そのため、成熟した市民社会においては、この欠点を補償する機能が、選挙制度の枠組みの外で発達する傾向がある。
         ビーグル号を建造した銀河系文明は、その究極の解答として総合科学を開花させた。では、現代の東京文明でこれと同様の役割を担う学問は何か。
         東京が多数を擁する「高度な訓練を受けた大都市期の人間」――巨大企業のビジネスマンや高級官僚、学者、マスコミ人――は、民意を把握する際に、高度な統計処理を含む手法を多用する。コマーシャルベースにおいてはマーケティングであり、政治の世界では世論調査が主に該当する。それらは高度な発展を遂げた結果、今や良好な企業活動や政権運営に不可欠のツールとなっている。
         にもかかわらず、企業のリストラや倒産、政権の退陣といった失敗は、依然として東京文明を特徴付ける恒常的な現象であり続けている。これは、銀河系文明の探検船未帰還問題と不気味な相似形を成しており、さらに、統計処理を一般論化の過程と捉えるならば、ケントを扱う際のグローヴナーの失敗とも、同様の相似形を成しているのである。


          ■ 終わりなき危機 ■
         
        とはいうものの、総合科学はいったん作動を始めれば、デウス・ウキス・マキナのごとき圧倒的な力を発揮する。グローヴナーは結局はケントとの闘争に完全勝利し、対アヌビス戦においてビーグル号を勝利に導くのである。
         そこで、次のような疑問が浮かび上がる。すなわち、すべてが終わった後で、ケントは改心したのかという疑問である。

        「人間の将来はどうなるのかな、きみの考えでは? 万人が総合科学者になるということか?」
        「この船の上では、それは不可欠でしょう。人類全体としてはまだ実行可能の段階には来ていませんが――(略)」
           (中略)
        「するときみたち総合科学者は、周期学説的な歴史のパターンを打破するつもりなのだね? そうだろう、きみが考えてるのは?」
        「正直いって、ぼくは苅田さんにお目にかかるまでは、周期学説的な物の見方を、それほど重要視していなかった。――(中略)――だが全体としてのパターンは、事実によく適合しているようです」
              (マッカンとグローヴナーの対話( P298〜P299))

         先のような事情を踏まえ、かつ総合科学が周期学説の打破を目標のひとつにしていることを考慮すると、ケントが物語の最後で、ついに総合科学のセミナーに参加した時、グローヴナーはそれをケントの改心――周期学説に対する総合科学の勝利と受け取った可能性は高い。
         しかし、それは事実だろうか? ケントは総合科学の力を認め、リーム人のように生き方を変えたのだろうか。それとも、孔子言うところの「敵を知り、己を知れば百戦危うからずや」に戦術を変更したに過ぎない可能性はないのだろうか?
         仮に後者だった場合、ケントは自身の権力維持のためにも、部下に総合科学を学習させる愚を犯しはしないだろうが、残念なことに、ケント以外の化学部の人間がセミナーに参加している、あるいはしていないという記述は存在しないため、この点を裏付けることはできない。
         しかしながら、彼が総合科学を研究して己のものとし、なお自身の野望を維持し得る可能性は、確かに存在する。
         催眠工学を用いて、乗員を対アヌビス戦に動員することに成功した時、グローヴナーは以下のように胸をなで下ろしている。

        「ケントが、不承不承これに同意し、作戦遂行の要を認める姿を見て、グローヴナーは、ひそかに苦笑いした。催眠にかける時も、各個人の性格一般には何も影響がないよう、注意しておいたのである。」(P311)

         終わることのない夜であり、始めのない夜でもある銀河宇宙を突進するビーグル号。その内部で繰り広げられたドラマから、東京はいかなる教訓をくみ取ることができるだろうか。
         彼らが示しているのは、高度に科学的な手法を用いて、人間集団を賢明かつ注意深く操作すれば、表面上は危機を回避できるという事実である。
         しかし、本当に危機を克服するならば、そのようなアプローチだけでは不十分であり、個々の人間の、とりわけ「人間臭い」部分について、より深く慎重な考察が必要になるだろう。なぜなら根本的な原因が取り除かれるまでは、危機は常にそこに存在し続けているからである。
                                    (木立嶺)

        *本文の引用はすべて、創元推理文庫版(1983年10月14日発行38版)に依っています。
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        東京SF大全31「虹の天象儀」
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          (小説・瀬名秀明、2001年)



          (祥伝社文庫・2001年11月刊)
          織田作が愛した「自由軒」のカレーとともに。最初から混ぜられたカレーに生卵を落とし、ソースをかけて食べる

           「ただし、ひとつだけ光速を超えられるものがある。それは物語だ、とSFは語ってきた」
           最相葉月との往復書簡エッセイ『未来への周遊券』(ミシマ社)にて、瀬名はそう言った。

           物語なら超えられる。空間も、そして時間も。瀬名の積年の哲学を、わずか一六五ページの中篇に結晶化させた。奇跡のような作品である。その言葉だけ取り出して聞くと、叙情的で繊細なファンタジーの印象を受けるかもしれない。だがその物語を水面下で支えるのは、認知科学やロボット学などの、瀬名がこれまで積み上げてきた科学的思考である。受け継がれ、広まっていく「物語」というデータの強靭さに注目し、思弁を重ねることでタイムトラベルの可能性にまで到達した思索の深さには驚かされる。
           ハードSFでもファンタジーでもない独自の世界構築。あれはできない、これはできないという減算の発想法ではなく、あれはできる、これもできるという加算の発想によってのみたどり着ける世界だ。それが瀬名作品の魅力だろう。それを絵空事と切り捨てるのはたやすいが、物語というソフトウェアの内部では矛盾なく成立している。メタフィクション的視点を前衛文学ではなく科学の立場から採用した斬新さは注目に値するだろう。

           かつて、東京・渋谷駅前で44年間稼動し続けた五島プラネタリウムの物語である。そのプラネタリウムで最後の投影を務めた技師が、過去へ旅する。東京大空襲直前の時期、そして敗戦後間もない時期へ。肉体ではなく、意識だけが時空を超え、他人の肉体を借りる形で過去を体験する。
           いかにもファンタジー的な展開に思えるが、きちんと説明はつけられる。ロジャー・ペンローズの量子重力論とか、その手の話ではない。どちらかというと認知科学と哲学が溶け合う領域を足がかりに、ある仮説が語られる。誰にでも理解できる平易な理論でありながら奥行きはとても深い。そこがすばらしい。

           技師が時空を超えて旅する目的は、東京大空襲を止めるためではないし、大切な誰かを守るためでもない。ある人間に会うためだ。織田作之助。「夫婦善哉」や「わが町」など、大阪を舞台に情感豊かな作品を書いた。だが地元大阪でも思い出す人は既に少ない。「夫婦善哉」に登場する「自由軒」のカレーが今も変わらず親しまれている程度だ。「自由軒」は「織田作のカレー」の店として今も誇らしげに看板を掲げるが、実際に「夫婦善哉」を読んだことのある人がどれほどいるだろう。
           だが技師にはどうしても気になる作家だった。「わが町」の重要な場面でプラネタリウムが登場するからだ。主人公・他あやんは、フィリピンのベンゲット道路建設のため海を渡ったが、志半ばで強制送還される。フィリピンの星空の下に戻ることを夢見続けるがそれはかなわず、大阪電気科学館のプラネタリウムを見ながら息を引き取る。
           本書がもうひとつ興味深いのは、徹頭徹尾東京を舞台にした東京SFでありながら、その中に大阪の物語が巧妙にはめこまれていることだ。織田作は大阪に帰りたいと願いながら東京で客死した。その見果てぬ望郷の念を癒すために技師はひとつの行動を取る。なぜ織田作なのか。なぜプラネタリウムなのか。最後の最後で、意識と時間を巡る物語と、織田作とプラネタリウムを巡る物語がひとつになる。

           冒頭の瀬名の言葉を受けて、最相はある親子の物語を語った。科学の好きな息子が得意気に語る。今見えている星は現在そこにはなく、十年前、百年前の姿なんだよと。父親は返した。「なるほど、見る場合はそうかもしれないな。しかし、考える場合はどうだ。今地球のことを考えている。つぎに遠い星のことを考える。これにはなんら時間を要しない。人間の思考は光より速いということになるぞ」(『未来への周遊券』より)
           息子はこの父の言葉を忘れなかった。後に作家となり、星新一と名乗った。星が、そして瀬名が書いた「思考」を巡る物語は、これからも時間と空間を越えていくはずだ。(高槻真樹)



          五島プラネタリウムの跡地。今も再開発が続く

          ※付記1 この物語はもともと、実際にプラネタリウムを使ってスライド投影方式で上演されるドラマの原作として書かれた。番組は各地で巡回上映が続けられており、現在、熊本博物館にて8月末日まで見ることができる。

          http://webkoukai-server.kumamoto-kmm.ed.jp/web/planetalium/bangumi.htm

          ※付記2 「物語は光速を超えられる」という言葉について、瀬名は「山田正紀さんの長篇『エイダ』の中に登場する言葉に刺激された」と語っている

          ※付記3 この物語の主役といえる五島プラネタリウムのカールツァイス厳薪蟇撞,蓮∈秋竣工予定の新しい渋谷区記念館に飾ろうという募金運動が行われている。こちらのHPから募金を申し込むことができる

          http://www.f-space.jp/bokin/

          カールツァイス厳織廛薀優織螢Ε
          提供:渋谷区五島プラネタリウム天文資料

           この物語の主人公・カールツァイス厳織廛薀優織螢Ε爐痢五島プラネタリウムにおけるありし日の姿。
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          東京SF大全29・30  『白暗淵』『終着の浜辺』
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             6月6日は犇寡櫃瞭瓩任△襦新約聖書の一節に「獸の數字は人の數字にして、その數字は六百六十六なり。」[ヨハネの默示録13:16〜18]とあることにちなむ。
             東京に犇寡櫃瞭瓩訪れたこともあった。
             今回は、ゲストのお二人、東條慎生氏と増田まもる氏に、その犇寡櫃瞭瓩硲咤討砲弔い童譴辰討い燭世い拭


            東京SF大全29『白暗淵』(しろわだ)

                      (小説・古井由吉・2007年)



            (講談社・2007年12月刊)


             古井由吉と東京、というならばまだしも、古井由吉とSFという取り合わせは意外に思う方も多いだろう。まさか古井がSFを書いていたのか、という訳ではもちろんない。古井由吉で「東京SF論」を書けないか、という話を聞いたときにはそれは無理だろうと思ったのだけれど、よく考えてみれば日常のなかに不穏を見いだし、堅固な現実と思われたものがじつは凍った水面のように薄いものなのではないか、という戦きを味わわせるという点においてはディック的な幻想文学の要素があることは確かだ。東京SF論として成立しているかどうかは読者の方の判断を待ちたいけれど、とりあえず迂遠ながらも古井とSFと東京をつなげてみたいと思う。六十年ちょっと前のことからはじめよう。
             1945年3月から数次に渡って行われたアメリカ軍による大規模な爆撃は、東京市街地の50%を焼失させるほどの甚大な被害を与えた。特に3月10日は最大規模のものとして知られ、死傷者10万人を超え、被災家屋は26万戸を数える。それに次ぐ規模のものとしては5月25日の山の手大空襲があり、死者7000人以上、家屋22万戸という被害を受けた。
             古井由吉は今の品川区旗の台(当時の荏原郡平塚)で1936年に生まれ、山の手の大空襲を8歳の身で体験したことになる。当時8歳の少年にとって目の前で家が燃え、「近所隈なく焼けている」という状況はどれほどのもかにわかには想像できない。いまの私たちから考えると、一夜にして市街地の半分が焼失した、などというのはまさにSFのなかの出来事にしか思えないだろう。>
             しかし、それは確かに60年前に起こったことだ。古井はこの東京大空襲を体験したことが強い原体験としてある小説家で、最近の連作形式の小説にはひとつくらいそのことを題材にしたものがある。2007年の『白暗淵(しろわだ)』では冒頭の「朝の男」に、焼き払われた瓦礫の中で通りがかった男に想像をめぐらすという展開があり、最新刊『やすらい花』では「涼風」や「瓦礫の中で」がやはり空襲体験を書き込んだものとして数えられる。しかも、ただ戦災を語るのではなく、そうした死に満ち満ちた状況のなかで、行きずりの女と交わるというような、死と性の密接な絡まり、あるいは、死に近づくほどに性が昂進していく様子が描かれるのが古井作品の特徴だと言える。つまり「人生=死」と「色気=性」なわけだ。
             そのあたりのことはインタビューをまとめた近刊『人生の色気』でこう語っている。

            「僕は作品でエロティックなことをずっと追ってきました。その一つの動機として、空襲の中での性的経験があるんですよ。爆撃機が去って、周囲は焼き払われて、たいていの人は泣き崩れている時、どうしたものか、焼け跡で交わっている男女がいます。子供の眼だけれども、もう、見えてしまう。家人が疎開した後のお屋敷の庭の片隅とか。不要になった防空壕の片隅とか……」

             こうした戦争の極限状況とエロティックなものの絡まりは初期の代表作「円陣を組む女たち」にも見ることができる。母と姉に連れられて空襲から逃れるとき、空からの爆音を聞きながら、少年はいつしか見知らぬ女の顔が自分のまわりに「円く集まっている」のを見、このような叫びを聞く。

            「直撃を受けたら、この子を中に入れて、皆一緒に死にましょう」

             女たちはその言葉を繰り返し、「つぎつぎに声が答えて嗚咽に変わってゆき、円陣全体が私を中にしてうっとりと揺れ動きはじめた」という文章で小説は終わる。少年の記憶のため、性的なニュアンスはぼんやりとしたものにならざるをえないけれども、この末尾の叙述は明らかにエロティックなものを含んでおり、近年に至るまでの一貫した軸を見てとることができる。
             戦争についてはさらに二つに分けることができ、ひとつは空襲の体験に象徴される戦争、そしてもうひとつは戦後戦われた経済の戦争が、古井作品の大きなバックグラウンドとしてある。東京を流れる多摩川水系の河川をタイトルに持つ長篇小説『野川』では、この空襲と経済の繋がりが特に強調された作品で、経済戦争を戦った男の死が空襲での死と対を成すように描かれていたところが印象に残るものだった。
             『白暗淵』でもこの関心は引き継がれていて、毎日新聞のインタビューに答えて、古井はこう語っている。

             「一夜のうちに焼き払われる空襲なら、ささやかでも物語にはなる。戦後の経済成長による変化は日常のうちに起こったために出来事としてつかまえられない。ところが、前後では戦災と同じほどの断絶が起こった。その変わりようを切れ切れに拾っていければと」

             もうひとつ、古井が日経新聞に連載した、「東京の声と音」という副題を持つエッセイ集『ひととせの』の序文でこう書いている。

            「自分の耳は、じつはとうの昔に、奥のほうで聾されたままになっているのではないか、とひそかに疑う者なのだ。ひとつは空襲の最中の、音の恐怖による。耳からの恐怖は、目からの恐怖よりも、防ぎようがない。またその後遺症として、それ以前の音や声の記憶を、とかく遮断する。
             もうひとつは、これは長年かけてのことだが、戦後経済成長の、喧騒による。奔走の喧騒は、折々耳についた声や音を、記憶に留めることを阻みがちである」

             ここでも、敗戦の崩壊と復興の繁栄とを同じ戦争として並べて見る視点があることが分かる。そして、戦後の経済戦争による疲労は戦災のように派手に目に見えるものとは異なる。ある時突然死んでしまった男のことを、まるで暗い穴を覗きこむように恐る恐る残された者たちが語り合う、というのは古井作品に多々見られる状況だ。そこには「彼」を死においやったものが、「われわれ」のうちにも既に養われていることが言わずとも共有されているような空気が立ちこめる。
             そうした物語にならないような事々のうちから、古井はなんとか言葉を紡ぎ出そうとする。だからこそ、日常の微細なくずれに危機や不穏さを見いだしていくような古井独特の緊迫感に満ちた文体が必要となってくる。危機は日常にこそ伏在している、という古井の認識こそが、大空襲と経済戦争という東京を戦場としたふたつの戦争のその後を描き出す方法だったといえるだろう。
             さて、ここで空襲とSFといえばまず読者の方の脳裏に浮かんだだろう作品、カート・ヴォネガットの『スローターハウス5』を考えてみたい。これこそ、「一夜のうちに焼き払われる空襲」を描いた「ささやか」な「物語」だからだ。『スローターハウス5』で扱われる空襲は、東京大空襲と並んで第二次世界大戦での無差別爆撃の代表的な事例、死者十数万を数える未曾有の被害をもたらしたアメリカ、イギリス連合軍によるドイツ、ドレスデン爆撃だ。アメリカ軍兵士だったヴォネガットは捕虜として連れられたドレスデンで、味方からのこの爆撃を受け、焦土と化したドレスデンを目の当たりにした。東京大空襲のほぼ一月前、1945年2月13日から翌日にかけてのことだった。
             あまりにも衝撃的でドラマチックな出来事だとはいえる。しかし、あまりにも理不尽で劇的な出来事は同時にその者から言葉を奪う。『スローターハウス5』は戦後25年を閲して作中の言葉を借りれば4,5千枚の反故を出しながらようやくのことで完成を見た。そしてこの作品は徹底して物語を「けいれん的」に解体する物語として形作られている。ある種のトラウマとして刻印された出来事はその徹底した理不尽さによって意味を解体され、「大量殺戮を語る理性的な言葉など何ひとつないからなのだ」、とヴォネガットが語るように、意味のある物語として語ることを阻害する。
             そこで採用されたのが主人公ビリー・ピルグリムの「けいれん的時間旅行者」という設定と、トラルファマドール星人という荒唐無稽なヴォネガット的ガジェットだ。トラルファマドール星人は、過去から未来までの時間を一望の下に見ることができ、彼らにとってはある時点で人が死ぬとしても、それ以外の時間では生きているため、死が大きな意味を持たない、という設定が与えられている。「けいれん的時間旅行者」というのも、そのようなトラルファマドール星人の視界をビリーに擬似的に体験させる目的があるといえるだろう。
             そうして描かれるのは、未来も過去も現在も全ては決定論的に決まっていて、これから起こる出来事はまったく変えることはできない、という極端なペシミズム的世界観だ。あらゆる悲惨、さまざまな死、そして自らの死すら「そういうものだ」と当然のこととして受け入れるような、究極の諦念。反戦平和主義の人々を怒り心頭にさせそうな話だけれど、
             しかし、このようにして死そのものを無意味なものとしなければならないような認識、悲惨を悲惨と受け取ることすら阻害する悲惨を強いるのが、ドレスデン爆撃だった。「そういうものだ」という頻出する言葉は、そうしたものをひっくるめた大いなるアイロニーとして、『スローターハウス5』の全体のトーンを形作っている。ここに、アイロニカルに絶望を描きながらも希望とユーモアを込めるヴォネガットの真骨頂がある。
             ヴォネガットと古井は年齢的にはだいたい一世代は違う。それが両者の見るもの、小説の手法の違いをもたらしている、といえるかどうかは分からない。ヴォネガットは都市の廃墟のなかから壊れた物語を語ろうとし、古井は物語にならないところから言葉を紡ぎ出そうとする。二人とも歴史的な規模の空襲によって都市の焼亡を目の当たりにした経験を持っているけれども、その描き出そうとする手法はアメリカと日本、というお互いの立場の違いのようにまるで異なっている。ただいえるのは、空襲、戦争という体験は、焼け落ちた都市のように現実や意味や言葉が崩れ落ちる失語的状況を強いるものだということだ。両者とも、方法は違ってもその失語的状況から、言葉にならない言葉、物語にならない物語を、なんとか語ろうと試みている。
             古井由吉はアメリカを主な相手としたその二つの戦争において、東京が戦場と化した体験を持つ最後の世代に当たる。80年代生まれの私にとっては空襲も、そして高度成長も過去の話になってしまうのだけれど、彼らにとっては東京の焼失は忘れられない大きな衝撃として今も燻っている。
             ドレスデンと東京のつながりについて、いくつか補足しておきたい。東京大空襲以前の本土爆撃を指揮していたヘイウッド・ハンセルは高々度からの昼間軍需工場精密爆撃にこだわっていたのだけれど、思うように成果が出ないこと、上層部からの新型焼夷弾活用指示に反発したことなどで司令官により更迭され、戦略爆撃の専門家カーチス・ルメイが新たに指揮を執った。後のベトナム戦争で「ベトナムを石器時代に戻してやる」と発言したことや、キューブリック監督の映画『博士の異常な愛情』のタージドソン将軍のモデルと言われるルメイは、ドレスデン爆撃の成功を見て後、それまでの方針であった精密爆撃から焼夷弾による都市攻撃に切り替えた。日本の戦闘機の到達できない利点はあるもののジェット気流という難敵がある高々度爆撃から、命中率の高い低高度爆撃に切り替えたこと、迎撃するための搭乗員や火器類一切を降ろして爆弾の積載量を数倍に増やすなどの方針変更は自軍の損害を増大させることが予想されたのだけれど、結果的にこれは「大成功」となり、米軍人に「軍事史上、敵が一回でこうむった最大の災厄」と言わしめた。
             皮肉にも、そのカーチス・ルメイは戦後に航空自衛隊の育成ににあたったことを理由に日本国から勲一等旭日大綬章を授与されている。これは真珠湾攻撃などを指揮した旧日本海軍の源田實らの推薦によるもので、その前に源田自身がアメリカから勲功章を受けたことへの返礼と目されている。戦中から戦後にかけての日米関係の変遷を象徴するエピソードだろう。あまりにも空襲被害者を逆撫でするエピソードだけれど、近年空襲被害者も訴訟を起こした。この東京大空襲訴訟は被告が日本政府となっていることもあり、賛否両論あるのだけれど、サンフランシスコ講和条約での賠償請求権放棄により、アメリカへの賠償請求ができなくなったことと、軍人・軍属と民間人とで戦後補償において差別的待遇がなされていることなどが問題とされている。昨年12月の地裁判決では当初予想されていたように棄却され、問題提起は心情的には理解できるが、賠償の法的な根拠はなく立法で解決すべきというものだった。
             最後に、古井の戦後観がよく現れた一文を『白暗淵』の一篇「無音のおとずれ」から引いて終わりたい。

            「廃墟からの復興に、なりふり構わず、後先もろくに見ず、ただ我身惜しさからと折りにつけ自嘲させられたにせよ、つまりは無私のごとくに、ここでも「挺身」して来た男が、敗国の奇跡と呼ばれた繁栄を見て、それが戦前の繁栄をはるかに超えてようやく頂点を回りかける頃、自身の内に、敗北感をひきずって廃墟の塵埃の中をよろよろと歩いていた、殺戮の員外であった者の、「女子供」の、影がいまだに残存していたのを見出し、これまでに世界の陰惨な素面を覗くたびに、とうに時効のはずの、勝者に恵まれた員外の安堵に引きこもり、そこに依存してきたことに気がつくと、周囲の繁華が敵の来襲も招かぬ、あらわな仮象に見えてくる」          
                                        (東條慎生)


            東京SF大全30 『終着の浜辺』
             
                   (小説  J・G・バラード  1964年)

               

            (The Terminal Beach (New Worlds 1964年3月号に掲載)→伊藤典夫訳『世界SF全集32 -世界のSF 現代編』(早川書房1969年)に収録→伊藤哲訳『時間の墓標』(東京創元社1970年/2006年『終着の浜辺』に改題)に収録)


             東條慎生さまが寄稿してくださった、すばらしい古井由吉論・ヴォネガット論を受けて、おなじ戦争体験からまったく異なる小説世界をつくりあげたJ・G・バラードをとりあげてみたいと思う。『終着の浜辺』は短編ではあるが、ある意味でバラードの全長編のエッセンスともいうべき作品なので、その一語一語を丹念に吟味することによって、バラードの世界観がくっきりと浮かび上がる。なお、諸般の事情により、引用はすべて拙訳とする。
             まず、タイトルを吟味しておこう。バラードは「終着」ということばが好きで、いろいろな作品で使っているが、「浜辺」といえば、1962年のニューウェーブ宣言『内宇宙への道はどちらだ』における「健忘症の男が浜辺に横たわり、錆びた自転車の車輪を見つめて、両者の関係性の絶対的な本質をつきとめようとする」という一節があまりにも有名であろう。『終着の浜辺』は、まさに「真のSF小説の第一号」なのである。
             のちに濃縮小説とよばれることになる『終着の浜辺』は、冒頭から非常に密度の高い描写ではじまる。
             
            「夜、トラーヴェンが廃墟と化した掩蔽壕の床で眠っていると、滑走路の端で暖機運転している巨大な飛行機の爆音のように、礁湖の岸辺に寄せては砕ける波の音が聞こえてきた。日本本土に対するこの大規模夜間空襲の記憶が、この島での最初の数か月間、周囲の空を炎上して墜落していく無数の爆撃機のイメージで満たしたのだった。」

             そしてこれは、小説の末尾ときれいに呼応している。

            「死せる大天使の坐像に入口を守護された巨大ブロック群のことを考えながら、トラーヴェンは忍耐強く彼らが話しかけてくるのを待った。その間も、遠くの岸辺では波が砕け、炎上する爆撃機が夢の中を墜落していくのだった。」

             このことからもわかるように、アメリカの核実験場エニウェトク島と紹介されているこの島では、時間はほとんど経過しない。本書の主人公トラーヴェンは、ひとりこの島にやってきて、なにかを待ちうけながら、巨大な迷路のような実験場をさまよいつづけるだけである。その無時間性は、核実験の高熱によって地面に永遠に刻みつけられたわだちの跡や、熱核反応時間のほんの数マイクロ秒に溶融した砂の層といった美しい描写によってさらに強調される。
             これにつづく第三次世界大戦前夜[プレサード]といったことばから、これを終末論的にとらえるむきもあるが、冒頭の引用で明らかなように、この作品の文体には絶望や虚無といった情緒的な表現はかけらもない。掩蔽壕、ブロック群、そして爆心地といった核実験場の無機的な風景が、いっさいの感情をまじえることなく静物画のように描写されていくのみである。それでは、主人公はなんのためにこの島にやってきたのだろう?

            「とりわけひとつの問いが彼の興味をひきつけた。「この最小限のコンクリート都市に住みたいというのは、どんな種類の人間だろう?」」

             もちろん、ここが核実験場であるからには、その答えはただひとつ、「熱核反応を待ち受ける人間」であろう。作中に登場する唯一の日付が8月5日と6日であることからも、それは明らかである。また、ときおり主人公の前に姿を現す死んだ妻と息子の幻影も、動機のひとつのようだ。とりわけ、デーヴィッドという名前のダウン症のこどもは、バラード作品にたびたび登場しており、バラードの個人的体験と深い関係があることをうかがわせる。
             しかし、もっとも重要なのは、主人公よりも前にこの島にやってきた日本人医師の死体である。なにが重要かといえば、その死体にはドクター・ヤスダという名前があたえられ、あろうことか主人公に話しかけてくるからである。なぜか主人公もドクター・ヤスダの甥と姪が大阪空襲で死んだことを知っており、ふたりは運命の受容について哲学的な会話をかわす。死を覚悟してひとりエニウェトク島へ来たドクター・ヤスダは、いわばトラーヴェンの分身であるが、同時に、ある種のガイドのような役割を果たしていることがわかる。『楽園への疾走』で主人公を性的に惹きつけてやまないドクター・バーバラや『ミレニアム・ピープル』で主人公を破滅へと誘うドクター・グールドなど、その後のバラードの長編で主人公を陰に日向に牽引していく人物の描写は、ひどく人間離れしていてしばしば死者を思わせるのだが、その祖形はエニウェトク島の死せる医師、ドクター・ヤスダだったのである。
             それにしても、いったいトラーヴェンはなにを待っているのだろうか? それを終末、あるいは死であると考える人が多い。しかし、水素爆弾の永遠の正午が刻印されたこの島は「存在論的なエデンの園」であり、熱核反応による融合は「時間と空間からの解放」なのである。その具体的なイメージを、やがてバラードは1979年の『夢幻会社』の末尾で鮮やかに描き出すことになる。

            「そのときは、樹木や花、埃や石、そして無機物界のあらゆるものと融合し、喜びにひたりながらこの宇宙を形づくる光の海のなかに溶けこんでいこう。……生物と無生物、生けるものと死せるものとの最後の結婚式をとりおこなうのを目撃したのだ。」                      (増田まもる)
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            東京SF大全28 『風野又三郎』
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              (童話・1924年頃の草稿(生前未発表)・宮澤賢治)

               今日は「気象記念日」である。1875年(明治8年)6月1日に現在の犁ぞ歡瓩砲△燭覘狹豕気象台瓩創設された。日本における近代的な意味での気象計測の始まりである。
               狹豕気象台瓩蓮■隠牽牽掲(明治20年)1月に狠羆気象台瓩伐称された。
               だから、この作品の主人公、風野又三郎は言う。
              「東京には日本の中央気象台がある」と。



              (ちくま文庫『宮澤賢治全集・第5巻』)

              (生前未発表の草稿 → 十字屋『宮澤賢治全集・第5巻』1940年(「風の又三郎・異稿」として提示)→筑摩書房『宮澤賢治全集・第6巻』(第一次)1956年(「風の又三郎・初稿」として提示。後記に初題が「風野又三郎」との説明あり)→筑摩書房『宮澤賢治全集・第6巻』(第二次)1967年(扱いは「第一次」に同じ)→『校本宮澤賢治全集・第8巻』1973年(この版から、タイトル「風野又三郎」となる)→筑摩書房『新修宮澤賢治全集・第9巻』1979年→ちくま文庫『宮沢賢治全集・第5巻』1986年→『[新]校本宮澤賢治全集・第9巻』1995年)

               猊の又三郎瓩任呂覆ぁかの有名な童話『風の又三郎』以前に宮澤賢治が書いた科学童話『風野又三郎』である。そこに登場する又三郎少年は「転校生」ではない。本物の「風」なんである!
              「東京には日本の中央気象台がある」
              と、風野又三郎は言う。
              「東京は僕たちの仲間なら誰でもみんな通りたがるんだ」
              と、風野又三郎は子どもたちに向かって話す。
              「気象台の上をかけるときは僕たちはみんな急ぎたがるんだ。どうしたって風力計がくるくるくるくる廻ってゐて僕たちのレコードはちゃんと下の機械に出て新聞にも載るんだらう。誰だっていいレコードを作りたいからそれはどうしても急ぐんだよ」
               レコードとはいっても音盤のことではない。「記録」のことだ。「中央」とは権威ある記録をする場所。ここ以外のところで、いくら速く吹いても、それは「ない」ことになってしまう。だから、彼らはこのように狹豕瓩魄媼韻垢襦
               しかし、「速く吹く」ことに、いったい何の意味があるのだろう?
               それを記録することに何の意味があるのだろう?
               それは、「近代」の問題とつながってくる。
               宮澤賢治の童話『注文の多い料理店』のラストの一文はこうだった。

               しかし、さつき一ぺん紙くづのやうになつた二人の顔だけは、東京に帰つても、お湯にはいつても、もうもとのとほりになほりませんでした。
              (東京光源社杜陵出版部『注文の多い料理店』(1924年)63べージ)
               
               「食べること」は考えても「食べられること」は思ってもみない東京の「若い紳士」二人を田舎の住人である山猫が恐ろしい目に遭わせる。
               賢治が東京に対してきわめてアンビヴァレントな思いをかかえていたことは、言うまでもない。
               又三郎は子どもたちにこうも言っていた。
              「旅行の方が東京よりは偉いんだよ。―中略―赤道から北極まで大循環さへやるんだ。東京よりいくらいいか知れない」
               そして彼は風の立場からいろいろな気象現象を説明してみせた。まさに科学啓蒙のための学習童話である。後年『風の又三郎』を完成させる際に、こういった部分は削除されてしまった。
               現在の目から読むと、そここそが非常に面白い。
               もともと科学とは、風の声を聴くためのものだった。気象の観測やデータ収集は、その手段である。測定器は風の言葉を人間に翻訳するための道具だ。それは、風に対する人間の優位を誇るものではない。人間と風との間にある隔てを取り払うのが科学なのだ。そのことが、よくわかる。 
               初めて科学と出会った時の日本人の驚きが、明治期から昭和初期にさかんに書かれた科学啓蒙書には詰まっている。世界認識の変換を迫る科学用語のロマンチシズム……そこには、多分、我々が選ばなかった未来がある。
               一切の判断停止を拒絶するあくなき好奇心でもって世界の全体像を推測しようとする試みが「科学」である。その意味では、科学とはSFの一種なのだ。そうなっていないとしたら、多分、その方が特殊なあり方だ。
               科学の素養があるからこそ、宮澤賢治は風の声を聴き、「風と婚する」と宣言した。そのことは、彼が残した童話や犹蹲瓠平款櫂好吋奪繊砲僚斗廛皀繊璽佞箸覆辰董△燭咾燭啗譴蕕譴討い襦
               生前未発表の草稿『風野又三郎』を、宮澤賢治と同時代を生きた人々は読むことができなかった。その作品を、今、我々はさまざまな『宮澤賢治全集』で簡単に読むことができる。
                                          (宮野由梨香)



              (「気象庁」の建物は「東京管区気象台」でもある。「中央気象台」は1956年あ(昭和31年)7月に、気象庁となった。2001年(平成13年)1月の中央省庁等の再編に伴い「気象庁」は国土交通省の外局となっている。)
               


              (「気象庁」の一階には「気象科学館」があり、気象に関する様々な資料が置かれている。)



              (「気象科学館」の入り口を入ってすぐ右に、「中央気象台」の門標や写真が展示されている。)
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              東京SF大全27 『上弦の月を喰べる獅子』
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                (小説・夢枕獏・1989年)


                (初出〈SFマガジン〉1986年2月号〜6月号、1987年11月号〜1988年7月号、1988年12月号〜1989年6月号
                →単行本『上弦の月を喰べる獅子』(早川書房)1989年
                →ハヤカワ文庫『上弦の月を喰べる獅子(上)(下)』1995年)


                 
                ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾ ☾   

                          この作品は二人が論じる。
                二人によって論じられるべき作品であると、判断されるからである。


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                 宮沢賢治の詩集『春と修羅』の表題作に目を通すと、その詩行が、まるで波打つようなかたちに並べられていることに気づく。見ようによっては、DNAの分子構造を描いた二重螺旋の図に見えなくもない。一行の詩句を一対の塩基に見立ててみるわけだ。そうすれば、宮沢賢治の詩が、あたかも顕微鏡を通して覗かれた原形質の生物のように見えて来る。自己自身の設計図を露出させている生物。「自己自身の記述」が即そのまま「自己自身のいのち」であるような一体の生物だ。この螺旋図のレイアウトは、そのまま文庫本版『上弦の月を喰べる獅子』の目次に採用されている。そうすると、この『上弦の月を喰べる獅子』(以下『上弦の月』と略記)という小説を、『春と修羅』の遺伝子を受け継いだ次代の生命と考えてみたくなって来る。このアナロジーの可否はともかくとして、大切なのは、螺旋の「かたち」が宮沢賢治の詩から夢枕獏の小説へと受け継がれているという点だ。「かたち」が反復されるとき、そこには螺旋の「力」が生起している。死を超えて生を生み出すいのちの力が。

                 そもそも「かたち」は、いつでも二重性の中にある。まったく新しい未知の存在、完全に固有の存在の中にかたちを見いだすことは出来ない。過去と現在が対を成す刹那の瞬間に、かたちは現前する。『上弦の月』の主人公のひとり、螺旋蒐集家「三島草平」は、事故により脳の一部に螺旋状に石片が食い込む損傷を負い、それ以来、眼前の光景のそこかしこに螺旋の動きを見るようになった。彼が損傷した脳の一部位というのは、海馬と呼ばれる短期記憶の持続形成を司る器官だ。つまり、草平は、記憶を司る器官に螺旋を刻印されたから、あらゆるものに螺旋を見ずにはいられない。彼が現に見ているもののかたちは、彼が過去に負った決定的な傷をかたどっている。
                 しかも、この三島草平という人物自身もまた、ひとつの造型、ひとつのかたちに他ならない。しかし何をかたどっているというのだろう? もちろん、宮沢賢治その人だ。螺旋蒐集家とは、小説家夢枕獏のまなざしが宮沢賢治の詩の中に見いだしたものを、かたちに表した存在以外の何者でもない。

                 宮沢賢治に『無声慟哭』という題の詩がある。まさに死に赴こうとしている妹を目の前にして、かけるべき言葉を口に出せないでいる「わたくし」の心をつづった詩だ。

                「わたくしは修羅をあるいてゐる」
                「わたくしのふたつのこころをみつめてゐる」

                この言葉の意味は、もちろんそれを読む人に向かって開かれている。だが夢枕獏は、宮沢賢治と三島草平を一個の照応関係に置くことで、この詩句の潜勢力に一定の方向性を与えた。草平は、或る日突然恋人を失って、死に取り憑かれてしまった人間として描かれている。つまり、『上弦の月』という小説の中で、宮沢賢治の「修羅」というモチーフは、三島草平の「失われた恋人」というモチーフに重ねられて、鏡映しにされている。そこから、宮沢賢治は「近親相姦」という「修羅」を抱えてふたつに引き裂かれていたのだという解釈が誕生して、ひとつの物語として実を結ぶ。
                 小説家のたどるこのような精神の動きこそが「螺旋」だ。宮沢賢治の詩があり、この詩から引き出された解釈があり、この解釈から生まれた物語があり、この物語の内部に「宮沢賢治」が生まれ変わって、新たな生をたどり直す。もちろん、『上弦の月』で描かれている宮沢賢治は、『春と修羅』の作者である宮沢賢治からすれば、ひとつの「結果」だと言える。けれども、この結果は、そもそも夢枕獏という作家の視線が『春と修羅』に見いだした宮沢賢治像を言葉にしたものに他ならない。こう言って良ければ、読者は、夢枕獏の言葉のおかげではじめて、近親相姦という解釈を可能とする「原因」がそもそも『春と修羅』の中に潜在していたと気づけたのだとも言える。この意味で、原因は、結果があってはじめて原因たりえる。原因が結果を生むと同時に、結果が原因を生む。この因果の交流の中に「かたち」は閃き出る(「いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です」)。

                 しかし、言い換えるとこれは、「かたち」とは因と果というふたつの極のあいだに木霊する透明な幽霊のようなものだということでもある。夢枕獏は、宮沢賢治の詩にひとつの「かたち」を直観して、そこから「三島草平」と「宮沢賢治」というふたりの人物を創造した。だが、夢枕獏が直観した「かたち」それ自体を理解したくても、あくまでもこのふたりの人物のあいだにみなぎる緊張を通して、透かし見るしかない。ちょうど作中でも説明されている通り、「机」を鉄や木といった素材に分解してしまったところで机の本質は理解できない、机の本質には実体が無いというのと同じで、「かたち」は、かたち同士を結ぶ関係性の隙間を浮遊している(「あらゆる透明な幽霊の複合体」)。この透明な幽霊を敢えて物語の中で受肉させた存在が、「アシュヴィン」という人物だ。
                 「三島草平」と「宮沢賢治」が合一して生まれた人物であるアシュヴィンは、蘇迷楼という世界=迷宮=螺旋を旅して、その先端を目指す。それはそのまま、「かたち」のたどる変身物語だと言って良い。原初の生命が複製を繰り返しながら形態の進化を続け、現在のぼくたちにまで至ったのと同じく、「かたち」は螺旋を描きながら繁茂していくものだから。蘇迷楼の中で、アシュヴィンが出会う様々な人々、彼が目撃する様々な出来事、彼自身の体験。それらすべてが、アシュヴィン自身の変身であり、「かたち」の生成の舞踏だ。

                 しかし、生命の反復が、その反復の瞬間に死をはらんでいるのと同じく、かたちの生成もまた、その起源に無を秘めている。なぜなら、言語とは「かたち」を言い表そうとして生まれるものだが、「かたち」とは、刻々と変化する意識の流れを無化する瞬間に立ち現われるものだからだ。言語は、流転して止むことの無い混沌とは異なる、固有の秩序を形成している。それが「法(のり)」だ。しかしそれゆえに、言語は、けして生成変化の流れとは相容れない。「かたち」は、生成の混沌と言語の秩序の両方にまたがっているが、それは、そのどちらでもないという意味でだ。「かたち」は、「〜でない」という否定形でしか思い描けない。思考はいつでも「かたち」の正体を掴み損ねてしまう。だから、言語は「かたち」を言い表そうとして発語されるものなのに、けしてこれを言い表すことが出来ない。言語は、生まれた瞬間からすでに「言いたくても言えなかったこと」という回顧的欠如を随伴している。だから、「かたち」とは実体の無いものなのではなくて、実体の内なる「無」そのものなのだ。

                 「三島草平」も「宮沢賢治」も、愛した女性を失ったことから、心に飢餓を抱え込んでいる。彼らの愛は、失われたものへの回顧としての愛、不可能性の苦悩としての愛だ。ゆえに、アシュヴィンの旅路は、ふたりを呪縛している「死の愛」を克服するための物語という様相を帯びる。つまりそれは、言語=法(のり)を、欠如ではなくて、充実した稔り(実=法(み・のり))として見るための物語、すべてに「諾」と言うための物語だ。
                 アシュヴィンの物語が終わって、ふたりの人生がふたたび分かれ、三島草平が死を迎えたとき、彼のポケットから数粒の籾が発見される。その数粒の籾は、一枚の写真とともに見つかった。かつて彼が撮影した、とある兄妹が殺される瞬間を写した写真だ。生が死に転じる瞬間を捉えたこの写真が、草平の心に刻印された原罪の象徴だとするならば、死者の手に握られていた種籾は、死を生に転じる救済の象徴に他ならない。この籾は、三島草平が、時間と空間を超えて、花巻の村の豊年祭で宮沢賢治と出会った折りに、賢治から手渡されたものだった。こうしてこの変身物語は、ふたりを結ぶ縁であり業であったアシュヴィンが天へと返されて、地の滋養へと変容したところで結ばれる。

                 相異なる時空に生きていた「宮沢賢治」と「三島草平」のふたりが出会い、また別れた場所は「二荒」だった。正確に言うと、宮沢賢治は二荒山(ふたらくやま)という場所で、三島草平は新宿でも三指に入る超高層建築とされる二荒(ニコー)ビルで、それぞれ異世界に入り込み、また帰ってきた。
                 言うまでもなく、「二荒」という字形は、この小説の主題をかたどっている。と同時に、「ふたらく」という言葉の響きは、当然「補陀落」に通じている。菩薩、すなわち「さとりを求める人」の住処である霊山だ。小説家夢枕獏のまなざしは、この霊山を、東京に林立する高層ビルの景色に重ねて見ていた。それは、言葉を変えると、テクノロジーが怪物的に成長していくこの東京の光景の中にさえ、宗教的な救いの種子を見いだせるということではないだろうか。とはいっても、それは、特別に深遠な行為だというわけではない。ただ、東京という都市を、それまで誰も知らなかったような角度から眺めること、見飽きたと思い込むのを止めてもう一度真正面から見つめ直すことが大切なのだ。それが出来たあかつきには、現に生きている人間から出発した問いが、物語を経由して、ふたたび彼のもとに帰って来る。この螺旋のダイナミズムがなければ、SFは傑作たりえない。(横道仁志)



                (都庁南展望室から見た「新宿副都心」)

                 評価の高い作品である。1989年の第10回日本SF大賞、1990年の第21回星雲賞(日本長編部門)受賞。作者本人が書いたセルフパロディ作品『上段の突きを食らう猪獅子』も、1991年の第22回星雲賞(日本短編部門)を受賞している。
                 わたしは螺旋蒐集家である。……長い物語は、このように書き出される。
                 螺旋蒐集家である「わたし」は二荒ビル(初出形では「ニコービル」)に螺旋階段を見る。二荒ビルは「新宿でも三指に入る超高層ビル」だ。そのビルの巨大な吹き抜けの中を渦巻きながら、はるかな高みへと伸びていく階段……。あり得ない。たぶん幻だ。だが「わたし」はそれを上っていく。
                 螺旋蒐集家は気がついていない。作者も気がついているのかどうか、わからない。それでも作品は土地の意味を内包する。「二荒ビル」は架空の存在だが、「新宿でも三指に入る超高層ビル」がある土地といえば、新宿副都心に決まっている。新宿駅の西口近くである。玉川上水の終着点ゆかりの淀橋浄水場があった場所だ。
                 玉川上水は、人口が急増した江戸への水供給を目的に掘られ、1654年に完成した。その終着点は新宿で、そこから上水は地下へもぐり、初期には木樋で、後にはより衛生的な石樋で、城下に配分された。
                 1899年には、更に衛生的な近代水道が始まる。上水の汚濁を除去・消毒するべく淀橋浄水場ができた。そして、1960年、東京都は「新宿副都心建設計画」を発表した。「淀橋浄水場」を東村山に移転し、その跡地に高層ビル群を建設しようというのだ。
                 都市に供せられた水の怨念の渦巻く場所に、高層ビルが林立する。閉じ込められて行き場を失ったエネルギーが、竜巻となって天をめざしたまま固体化したかのようだ。幻の螺旋階段が出現するのは、このような場所こそ、ふさわしい。
                 螺旋階段を上った螺旋蒐集家は、物語におけるもうひとつの存在と溶け合う。それは宮澤賢治である。賢治の出身地は岩手県の花巻だ。犂瓩箸い字が入っている地に育った賢治は、輪廻転生にこだわると同時に食物連鎖や生物進化の問題にも強い関心を抱いた。そのどれもが、螺旋としての構造を持っている。
                 賢治は、詩(心象スケッチ)や童話などを遺したが、そもそも「文学作品」とは螺旋なのである。「吹きあがった思いの構築物」だからだ。思いの渦巻くところに、表現が生まれる。せき止められて行き場をなくした思いが、渦巻きながらせり上がり「作品」となる。
                 賢治は原稿を何度も書き直したことでも知られる。発表後も作品に手を加え続けた。賢治作品に完成品としての定稿はない。「永遠の未完成、これ完成である。」(「農民芸術概論綱要」)と彼は述べた。作品の完成とは、時空に解き放つことなのだ。
                 『上弦の月を喰べる獅子』も同様である。やはり定稿はない。「初出形」「単行本形」「文庫本形」、すべてが独自の面白さを持つ。どれかひとつしか読まないなんて、もったいない! 全部を読んでこそ、この作品を読むという行為が完成する。もちろん、それも、読みつくすことは決してないことを前提とした上での完成なのだが。
                「初出形」において、螺旋蒐集家は幼い兄妹が殺される瞬間の写真を撮らなかった。

                子供が殺されるのを目の前にして、それでもカメラを向けられるほど、ぼくは仕事熱心ではなかった。(〈SFマガジン〉1986年2月号)

                 だから「初出形」では、その写真が発見されることも話題を集めることもない。それが「単行本形」ではこうなる。

                 私は眼の前で子供が殺されようとしている時、その光景に向けてカメラのレンズを向けた人間だった。(「単行本」63ページ)

                 「この世の真の相(すがた)を何らかの形にして示す能力を授かってしまった者」としての修羅の自覚の高まりが、この加筆として結実したのだろうか。 
                 また「初出形」では、涼子が螺旋蒐集家に宮澤賢治の話をしたことも詩集を手渡したことも書かれていない。にもかかわらず、ラスト近くで螺旋蒐集家の死体のポケットから、彼女から彼に贈る旨を「裏表紙の裏」に記した詩集が発見される。そのせいだろうか、「単行本」では、涼子が螺旋蒐集家に詩集を手渡し、賢治について語り合うシーンがつけ加えられる。贈る旨を記した場所も「タイトルページ」となり、涼子は名を露木から高村に変える。そして「文庫本」では更に「このような、初(うぶ)な会話をすることができたのも、心を許しあえたからだろう。」という言葉まで、二人が賢治について語り合うシーンに追加される。これは、ラスト近くの「文庫本」での新たな加筆(下巻380ページ6〜7行目)が「人は幸福になれる」という確信をより高める方向でなされていることと無縁ではないだろう。一方、涼子から与えられた本によって、螺旋蒐集家がその名を作品内で獲得するという構造は、最初からずっと変わっていない。
                 書き上げたことで物語が変質する。それに基づき手直しすることで、更に姿を変える。出発点から少しズレたところに立ち戻り、再び物語が繰り返される。しかし、その中心は保たれている。その意味では、手直しは作者による螺旋なのだ。それを読み返すことは、読者による螺旋である。作者と読者という二つの螺旋によって、作品は意味を獲得していく。
                 あらゆる意味で、『上弦の月を喰べる獅子』は誕生の物語である。「初出版」の冒頭(〈SFマガジン〉連載第一回冒頭)で「螺旋図」が最初から示されていることでもわかる。十の螺旋を巡る十月十日(とつきとおか)…これは胎児が母胎で過ごす時間だ。
                 生まれるのは、作者・作品・読者である。3つのものは同時に生まれる。どれも残り2つがなければ成立しない。作者と読者が織りなす2重螺旋の中心が作品だ。2重螺旋の空虚の中に生じるのが「作品」なのだ。作者のいないところに作品がないのと同じくらい、読者のないところに作品はない。
                 そして、もちろん、ここにおける作者猝瓦魘瑤戮諤哭瓩箸蓮◆崗絽垢侶遒魘瑤戮觧盪辧廚任△襦F票圓癲△修里茲Δ北召鼎韻蕕譴訛減澆箸靴董△海海肪太犬靴覆韻譴个覆蕕覆ぁ

                  ≪ヘツケル博士! 
                   わたくしがそのありがたい証明の
                   任にあたつてもよろしうございます≫
                 
                               宮沢賢治「青森挽歌」
                 
                 これが、この作品の冒頭のエピグラフである。「初出形」でも「螺旋図」の前に、この詩句が置かれている。この詩句が夢枕獏に働きかけて、宮澤賢治を作品内に召喚させたのだ。生物学者ヘッケルは、生物進化の歴史を系統樹としてまとめあげた。あらゆる生物の原型はひとつであり、個体発生は系統発生を繰り返す…そう、我々はもともとはひとつだったのだ。同じく、この地球上のどこかの、ある特権的な土地から生まれ出たものだ。
                 特権的な土地…あらゆる土地はすべて独自なものだ。
                 固有の歴史をかかえているからというだけではない。1メートルずれたって、太陽光線の射しこむ角度からして違うのだ。交換可能な土地なんかない。そして、その一方で、我々が踏みしめることができる土地はすべて地球という大きな塊という意味では、ひとつなのである。
                 この物語は、東京で書き終えられている。
                 多分、この物語にとっての、特権的な土地は東京だ。岩手よりも新潟よりも、まず東京なのである。
                 巻末の「次の螺旋の輪廻りのために」に、夢枕獏は次のように記している。

                 昨夜、東京で、この仕事を終えた。―中略― ホテルで眠っていた時も、朝の四時半頃にどうしても続きを書きたくなり、ろくに眠ってもいないのに、灯りを点け、また、ぼくはせっせとこの『上弦の月を喰べる獅子』を書き出したりしたのだった。この十年間、何度も何度も中断し、幾度となくもうやめようかと考えたことが嘘のようだった。(「単行本」554〜555ページ) 

                 それが東京のどこなのかは示されていないが、西新宿の高層ビル群の中かもしれない。
                 本書と基本モチーフの類似する作品『月に呼ばれて海より如来る』を夢枕獏は1987年に発表しているが、その続編が「江戸編」になるのも、たぶん必然なのだろう。
                 そういえば、星新一は「空想科学小説のなかま」と「ある晩新宿で大いに飲んだ」翌日に「ボッコちゃん」を「ふと思いついて書いた」のだった。(「ボッコちゃん誕生前夜のこと」)
                 光瀬龍が1984年からずっと小説講座の講師をつとめていた狡日カルチャーセンター瓩両貊蠅癲∪梢圭匹砲△訖圭表四Д咼襪裡苅験であった。今は4階に移転して、もとの場所は「平和祈念展示資料館―戦争体験の労苦を語り継ぐ広場―」になっている。ここにも供された者の怨念が渦巻いている。
                 西新宿は「日本SF作家クラブ発祥の地」でもある。
                 1963年3月5日、淀橋浄水場の横を重いオープンリールのテープレコーダーを担いだ男が歩いていた。西新宿にある台湾料理店「山珍居」で行われる「日本SF作家クラブ」発足準備会の様子を録音するためだった。
                 その録音を聞きながらの座談会が、その場所「山珍居」で2010年に行われた。その内容は藤田直哉によってまとめられ、「TOKON10」のスーべニア・ブックに収録される予定である。
                 20年ぶりに東京で開催される「日本SF大会」…それも、作者と読者によって織りなされる「作品」のひとつである。我々は「作品」内部に分け入って、日本SFの「みのり」を味わいながら、自分自身の「名前」を獲得する作業にともに立ちあうことになるであろう。
                 誕生のシーンは既に始まっている。                  
                                          (宮野由梨香)



                (新宿副都心に建つ、某ビルの中の巨大な吹き抜け)


                「玉川上水・内藤新宿分水散歩道」


                「単行本・ネジバナ」

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                東京SF大全26 『K-20 怪人二十面相・伝』
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                  トウキョウ、大サーカス!



                  江戸川乱歩を生みの親にもつ「兄弟」、明智小五郎と怪人二十面相は、永遠のトムとジェリー。捕まりそうで捕まらない絶妙な距離を保ちながら二人は、激動の時代すらもすり抜けていく。――のだが、佐藤嗣麻子の手によって脚色された北村想『怪人二十面相・伝』においてはどうやら少し様子が違う。だいたい、そこは日本であって日本でなく、東京であって東京ではない。第二次大戦なき日本。華族という身分が制度としてあり、貧しいものから搾取する社会。そんな上層階級を標的に、魔法のような手口で次々と盗みを成功させる怪人二十面相を、なんとしても捕らえんと執念を燃やす探偵・明智小五郎。

                  そこに現る1人の男。サーカスでアクロバティックな芸を披露する曲芸師である彼は、颯爽と登場したと思えば、怪人の罠に見事なまでにはめられて、「怪人二十面相」として逮捕されてしまう。男の名は遠藤平吉。サーカス団のカラクリ担当・源治とその仲間の泥棒たちに助けられなんとか脱獄に成功するも、太陽の下を二度と歩くことができなくなった平吉は、平穏無事な自分の生活を取り戻すため、泥棒稼業に仲間入りする。怪人と探偵、そしてサーカス男が織り成す不思議な三角は、広がり縮み、歪み丸まり、それ一個の生き物のように胎動しながら物語を駆動させる。

                  ひたすらに見せる。見せる映画だ。サーカスのスペクタクルを、平吉のアクロバットを、東京の空を川を海を。某アメリカン・コミックスで有名な犯罪都市を連想させるような、工場の煤煙ですすけた空に、天まで伸びる勢いの羽柴ビル。そのビル内で行われる明智と羽柴葉子の結納の儀を、建物のガラス天井にへばりついて盗み撮る遠藤平吉。《見られる男》が《見る男》に反転したとき、その視線の先にあるものは、果たして何なのか。良家の子女が体現するのはありえたかもしれない東京の、ありえるだろう未来の姿。見せる映画は、見えないものもためらうことなく見せる。解散したサーカス団の子どもが移り住んだ野上という貧民窟。「見て見ぬふりをするのは十分、大きな罪です。この子たちを助けましょう」と声高らかに宣言する葉子は、見えていないことがはらむ政治性にそもそも無頓着だった。だが葉子が《見てはいけないもの》を見れたのは、《見られる男》であり《見る男》である平吉と時間を共有したからだ。つまり平吉には見える/見えないの政治性を、軽く――はないのだが、実際には――飛び越える力が宿っている。

                  そして最後に結実する。「さあ、大サーカスの始まりだ」と東京へダイブする姿へと。(海老原豊)


                  ここまではレビュー。ここから下はやや込み入った話かつネタバレを含むため、作品を未見のものはご注意を。(ドラッグ&反転)

                  歴史改変物語が、それのみでSFたりえるかどうか。慎重な議論が必要だろう。歴史改変物語はあくまで私たちの住む現実世界というメタ・レイヤーとの比較を通じて浮かび上がってくるものだ。物語内での歴史改変は起こっていないという意味において、本作は至って普通の物語である。ただ注意したいのは、作品で重要なアイテムであり記号であるテスラ装置が、空間的に離れたものを攻撃する兵器であると同時に、(完全にファンタジー、つまり根拠のない読みであることは強調しておくが)時間的に離れたものをつなぐ装置であるのではないかという想像をSF者の中に生み出す。物語終盤で明かされた明智と怪人二十面相が空間的同一人物であることからさらに一歩踏み出し、平吉と怪人が時間的同一人物、つまり怪人はテスラ装置によって未来からやってきた平吉ではないか、という「ありえたかもしれない読み」が宙に漂い続けている。平吉と格闘していた怪人が明智であると分かる時、それは二重の衝撃なのだ。怪人が明智であるという驚きと、怪人が平吉でない驚きと。繰り返すがこの読みは最後の20分前までしか通用しない「ありえたかもしれない読み」だ。ただ可能性のみに着目するならば、これは、『K-20』が鮮明に見せ付けたありえたかもしれない東京のもつ可能性と、物語外のレイヤーを透かししているという点においてなだらかに繋がっている。回避できなかった戦争こそが『K-20』のありえたかもしれない東京を可能にし、SFでないことがSFを可能にするのだ。●
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                  東京SF大全25 『キャベツ畑の遺産相続人』
                  0
                      佐藤史生さまのご冥福を、心からお祈り申し上げます。


                    (少女マンガ・萩尾望都・1973年)
                    (初出〈週刊 少女コミック〉・1973年15号)→『精霊狩り―傑作短編集』小学館文庫・1976年→『萩尾望都作品集 第10巻 キャベツ畑の遺産相続人』・1977年(小学館)→『この娘うります!』白泉社文庫・1996年) 



                     今日は犹劼匹發瞭瓩任△襦
                     この物語は、ひとりの子どもがキャベツ畑の中を歩いていくところから始まる。

                     キャベツ畑に囲まれた館がある。3人の女性がそこで共同生活を営んでいる。その名は爛献隋璽献甅爛檗璽献瓩修靴騰爛廛螢鵝Ε僖き瓠H狃たちは「相続すべき遺産が送られてくる」という通知をもらい、期待して待っていた。
                     その牋篁梱瓩箸蓮屬垢辰んぴんの遺児」のター・ブー少年であった。
                    「かわいそうな みなしごを 寒空に 追い出したり しないでしょ?」
                     哀願に負けた女性3人は、ター・ブー少年を家に住まわせる。
                     日ならずして、3人のおばさんたちの正体を、ター・ブー少年は知ることになる。
                     天井にドアがある! かぶっている帽子が突然に爆発する!! 夜中にキャベツの大群が転がりながら窓の外に押し押せる!!!
                    「ああ ほら! そうそうにあの子にばれちゃったわ! あたしたちが魔女だってこと!」
                     ター・ブーは驚きながらも、次のような言葉を返す。
                    「それ 超心理学といって 超能力のことだよ」
                     だから、これはSF瓩覆里任△襦しかも狹豕SF瓩任△襦
                     萩尾望都は、この作品の成立について、次のように語っている。

                     ある夜、ワイワイ集って話をしていたとき、サトサマ(佐藤史生のこと。宮野註)が、「真夜中に向かいのキャベツ畑からキャベツがごろごろころがってトントンとやってきて……」
                    「ワー、おもしろい。その案もらっていい?」
                    「いいよ」というので、キャベツの転がる話が出来、いいだしっぺが、キャベツを呼ぶ魔女となったのだ。
                    (萩尾望都「ド・サト奇談」…佐藤史生『金星樹』解説(奇想天外社)1979年)

                     この爛錺ぅ錺そ犬辰届辰鬚靴討い伸畩貊蠅箸蓮当時、萩尾望都が志を同じくする仲間と共同生活を営んでいたアパート(2軒長屋のうちの一戸)で、それは東京都練馬区南大泉にあった。1970年代における少女マンガの革新は、この場所から始まったことが知られている。
                     少女マンガの革新とは、たとえば、本格的なSFを描くことを可能にしたことだ。これは、彼女たちの活動の成果のひとつである。
                     萩尾望都は『精霊狩り』(1971年)の27ページ目の絵の中に、ローマ字でさりげなく次のように記している。

                     WATASIWA S・F GA SUKI…DEMOONNANOKONIWA S・F GA WAKARANAINODA TO IUNODESU.HONTOKASIRA……?
                     
                     解読(?)すると、こうなる。
                     私はSFが好き…でも狃の子瓩砲SFがわからないのだというのです。ホントかしら……?
                     少女マンガ家がSFを書きたがっても「女の子にSFはわかりませんよ」と編集者に言われてしまう、という事情が、当時はあったのだということがうかがえる。
                    『精霊狩り』といえば、その続編『みんなでお茶を』(1974年)の冒頭2コマ目の絵にも次のような書きこみがなされている。

                     MOKUSITE KATARAZU BAKA NI TUKERU KUSURI WA NAI

                     この静かにして激しい怒りのほこ先は、どこに向けられたものだったのだろうか?

                     練馬区大泉にあったその場所に集った彼女たちは猖盻瓩世辰拭2晋里覆蕁普通ではない能力を持っていたから。
                     彼女たちは「遺産相続人」だった。遺産は倏塾呂鮖ちすぎた畛劼匹發任△襦
                     そう、実は、そのター・ブー少年こそが、世界の存続にかかわるような狡暁塾廊瓩了ち主だった。
                    「末おっそろしい…! あの子にあんな力があるとは思わなんだ」
                     驚く魔女たちに、ター・ブーの養父は言う。
                    「おっそろしくはありませんよ……! 正しいあつかいかたを指導していけばね……! 少なくともはずみにしろ全世界を消すようなドジは二度とふませずにすみます」
                     かくて、狎気靴い△弔いかた瓩鮨箸砲弔韻蕕譴襪任△蹐Γ横矯个砲覆詁まで、その力は封印され、ター・ブーは魔女たちによって育てられることになる。
                     ラストのコマで、ター・ブーはつぶやく。
                      
                     ―ぼくはまだ子どもだけど、今に大きくなって……

                     ター・ブーが爛織屐辞瓩任覆なる日が今に来る。
                     多分、魔女たちは、様々な爛織屐辞瓩膨戦しようとしていたのだ。
                     うら若き女性たちが共同生活を営み創作に打ち込むというのも、もちろん爛織屐辞瓩任△辰拭なぜなら、それは狎舷瓩貿悗鮓ける行為であったから。
                     3人のおばさんの名の出典は「マザー・グース」である。萩尾望都は、平野敬一『マザー・グースの唄 イギリスの伝承童謡』(中公新書275)を読んで「マザー・グースがたいそう好きになった」と語っている。(草思社『マザー・グースのうた 第4集』付録「クック・ロビンは一体何をしでかしたんだ」)
                     平野敬一の本の43頁には、原詩とともに次の狠川俊太郎訳瓩載っている。『ポーの一族』中の「一週間」でアランが口ずさむアレである。

                      ジョージィ・ポージィ プリンにパイ
                      おんなのこには キスしてポイ
                      (Georgie Porgie pudding and pie
                       Kissed the girls and made them cry)

                     この歌詞の名前を持つ魔女たちが、黙して語らず、キャベツを召喚したり牋篁坐蠡貝瓩鬚靴燭蠅靴董育てあげてみせたのは犧酩吻瓩任△辰拭
                     犹劼匹皚瓩蓮▲ャベツから生まれたっていいのだ。
                     現在の我々はもちろん、その犹劼匹皚瓩いかにすぐれたものに育ったかをを知っている。
                     キャベツは、日々狹豕瓩箸いε攵蹐頬かに育っている。
                     狹豕SF瓩魄Δ垢覯罅垢癲屮ャベツ畑の遺産相続人」である。                        
                                                (宮野由梨香)

                     

                    (その場所は「小関」バス停から徒歩1〜2分のところだったという。中央線「吉祥寺」駅と西武池袋線「保谷」駅をつなぐバス路線の途中に「小関」はある。いわば、マンガ家が多く住まうことで知られる吉祥寺のなお奥つ方に、その場所は位置している。)



                    (「小関」バス停近く、「練馬区南大泉」には、今もキャベツ畑がある。 その場所の近くには「鉄塔」があったというから、おそらく、この付近であろう。)
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                    東京SF大全メインゲスト特集
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                      東京SF大全では、5月5日から3回にわたって、TOKON10のメインゲストである萩尾望都さん、佐藤嗣麻子さん、夢枕獏さんの作品をとりあげて紹介してまいります。
                      5月5日は萩尾望都さんの「キャベツ畑の遺産相続人」を宮野由梨香が、5月11日は佐藤嗣麻子さんの「K−20」を海老原豊が、そして5月21日には夢枕獏さんの「上弦の月を喰べる獅子」を横道仁志らが論じますので、どうぞお楽しみになさってください。
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